上田合戦の引き金となった上野の名城

沼田城
 群馬県沼田市(平成28年5月18日 訪問)

 沼田城は天文元年(1532)に沼田万鬼斎顕泰が築き、当時は蔵内城と呼ばれていました。天正8年(1580)に真田昌幸が入城し城の規模を広げ、天正18年(1590)に昌幸の長男信幸()が沼田領二万七千石の初代城主となり、慶長2年には当時の江戸城に次ぐ五層の大天守を建造したらしい。
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 ※  上野国(こうずけのくに)沼田城絵図にも5重の天守が

 その後5代91年間の真田氏の居城となりましたが、天和元年(1681)、5代信利が江戸幕府に領地を没収され、翌年1月に沼田城は幕府の命により完全に破却、その後天守が再建されることはありませんでした。
 現在、城跡は沼田公園となっていますが、石垣の一部など遺構を次のとおりわずかに確認することができます。

 発掘された西櫓台にともなう石垣石段
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 出土した瓦から真田氏時代の遺構と考えられる。真田氏改易後、沼田城は破却されたが、地下に眠っていた石垣が300年超を経て発見された

本丸跡
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鐘楼
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 ※ 廃城により取り壊されたが、明治に入って修復。時の鐘として親しまれた。

平八石
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 真田昌幸が沼田城攻略の際に謀殺した、沼田氏12代顕泰の側室の子・沼田平八郎の首級を置いたと伝わる石。昌幸が首実検をしたと伝わる。
 
 その他には「真田丸」では吉田羊さんが演じた小松姫と仲良く並んでいる信幸信之)像が印象的だった。
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 沼田市観光協会が寄付金などで作ったつくった信之(信幸)(右)と妻・小松姫の石像。ほぼ等身大で台座には真田家の家紋「六文銭」が彫られている。

 遺構そのものよりも、目もくらむような崖端に築いた、地の利を生かした立地条件がスバラシイと思った。
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 ※ 沼田公園から市街地を見下ろす。台地の突端に築かれた立地がわかる。

顔合わせ

新しいバイクに付けようと思い、毎日、PC画面とニラメッコして、いろんなものをポチっているが、これもその一つ(3つあるけど…)。
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 ※ オーバースライダー3点セット

 今まで乗ったことのないジャンルのバイクで、何がいいのか判らないまま購入。

 オーバースライダーだからOVER製…ってな安直な選択理由。

 で、昨日、受け取ったら、スグにバイク屋さんから電話が入った(何と言うタイミング)。

入庫しましたよ!

今から行きま~す!」と私。

 先日、お話させて頂いた通り、できるだけ自転車でと小一時間かけてバイク屋さんに行った。

 緊張の「ご対面~!」
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 ※ 遥々海を渡ってきたのだ…


 納車整備に先客(バルカン)がいるようで、あとしばしの辛抱だ。

 でも、「よろしくね!」とキッチリみのオーバースライダーを(写真のとおり)バイクの横にいてきました。
 優しい店長に甘えることしかり…

ランニング禁止令

通っているスポーツ整形の先生から、「走るのやめなさい」って言われてしまった。
半月板の損傷によるものだけど、「アホみたいに走るな!」と言うことらしい。

私は食べる(質より量のほう)ことが大好き。

すぐ太ってしまうので、走ることで現状維持を続けてきたこと数十年…

これまで月平均300キロをノルマに走ってきたのに、「どうすりゃいいの?」の疑問に、Dr.は「自転車なら可」とのこと。

帰って早速ポチったのがこれ
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 ※ ビンディングペダル対応のシューズ(シマノ製)

 スニーカーのように履けて、金具がソールの中に入り込んでいるので、歩くのも走るのもあまり違和感かった。
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 ※ コレ履いて子供との駆けっこにも勝利したし!

もう、自転車乗りまくるぞ

突貫工事と言うにはあまりに大きな秀吉の城

石垣城・一夜城
 神奈川県小田原市早川 (平成28年 5月15日訪問)

 御存知、秀吉小田原征伐の際に、その本営としていたお

 総石垣の城を築いたため石垣山と呼ばれるようになったとか。
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 一夜城とのことであるが、実際は約80日を費やして完成されたと説明がなされていた。
 それでも今では考えられないくらいの突貫工事であるにもかかわらず、石垣や櫓を備えた本格的な「近世城郭」でありました。

 石垣は秀吉お抱えの近江の穴太衆による野面積みで、
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 度重なる大震災にも耐え、今日までその面影を残しています。


 その遺構


二の丸跡
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 二の丸(馬屋曲輪)は、本丸と並んで最も広い曲輪で、伝承によれば、馬屋が置かれ、本丸よりには「馬洗い場」と呼ばれた湧水もあったとのこと。

本丸跡
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 本丸から望む小田原方面
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 ※ 左端中央部に小田原城が見える。

天守台跡
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南曲輪跡
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 80日で述べ4万人が動員されたと言う突貫工事。なしえた秀吉の権力を感じることができるお城です。

千代田区をスッポリ呑み込む大城跡

江戸城
 東京都千代田区 (平成28年5月17日訪問)

 降りしきる雨の中、先ず桜田門を見ようと皇居外苑を歩いていたらビックリした。

 楠正成公銅像があったことにだ。
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 楠公(なんこう)さんが何故

 南朝の後醍醐天皇を死守しようとした忠臣(私は大好きな一人)だけど、何故

 裏切り者家康ツメの垢でも煎じて…と言うこと?(はかなりのアンチ家康

 色々考えながら桜田門に到着
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 手前の高麗門と奥の渡櫓門
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枡形を形成している。

 そこから有名な二重橋に移動。
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 手前の皇居正門に続く石橋
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 ※ 奥に見えるのが伏見櫓だ。

とその奥にかかる鉄橋
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なってえるから二重橋だということを初めて知った。

 続いて坂下門を見て、
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 ※ 普段は外国人でイッパイらしいが、今日の天気では…

 そこから桔梗門へ移動
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 坂下門と同じく、この門を入れば皇居に繋がるためか、警備員(皇宮警察)が睨みを効かせていて入れない
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 この場所から見える櫓は巽櫓
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 ※ 右手は大手町のビル街

桔梗壕桔梗櫓
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 続いては大手門
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 手前の高麗門
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と奥(内側)の渡櫓門
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枡形を形成。

 渡櫓に載っている
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 この門をくぐって、本丸方向へ進む。

 手前に同心番所
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 ※ 上位の役人が詰めていたそうな

 百人番所を確認
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 本丸二ノ丸に通じる要所の大手三ノ門
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 この門の前にある番所で鉄砲百人組と呼ばれた甲賀組、伊賀組、根来組、二十五組の4班体制で昼夜交代の100人ずつ配置されていたそうである。

 ここから二ノ丸方向(北側)に進み、諏訪の茶屋を見る。
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 江戸時代には吹上地区にあったらしいが、皇居東御苑として整備されるときにこの場所(二ノ丸跡)に移設したもの。

二ノ丸庭園
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 更に北側に進み平川門に至る。
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 この門も渡櫓門帯曲輪門)と
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高麗門
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枡形を形成だ。

 この門を出て、すぐにある木橋
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 渡る際左手に竹橋が見えるが、平川門の渡櫓門から竹橋までこの写真の左手に見える細長い曲輪が延びていてその右側の堀が大手壕、見えないが左手が平川壕と呼ばれている。
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 竹橋を渡って、平川壕沿いに歩いて行くと、北桔橋門が見える。
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 この門をくぐることなく、一旦、に進路をとって北方向に進む。
 北の丸公園に入って、日本武道館を発見。
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 更に北に進んで、公園の出口に至るが、これが田安門となっている。
この門も渡櫓門
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 くぐって左に見える高麗門
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枡形を形成。

 門をくぐって、更に北進靖国神社に至り、
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 英霊の御霊にこうべを垂れたのであるが、ここでは割愛として、北桔橋門に戻ることにする。
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 この橋から見る石垣は見事だ。
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 ※ 向かって右の乾壕

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 ※ こちらは左の平川壕

 北桔橋門はこれまでクドイほど紹介した枡形ではなく、門を一つくぐるとすぐに天守台が現れた。
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 回り込んで天守台の入口側
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 天守台から見た本丸
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 ※ 手前には大奥があったらしい。

 この本丸を南方向に進んでいく。

 右手に「松の廊下跡」を見ながら、
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 ※ 「殿中でござる!」 の殿中は本丸の意らしい。

 本丸の南つきあたりに富士見櫓を発見。
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 ※ 中には入れない。

 元々19あった櫓のうち今あるのは、この櫓と伏見櫓桜田二重(巽)櫓三つらしいが、唯一の三重櫓とのこと。

 ここから東方向に進み、大手門に戻る途中に大番所を発見
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 これは本丸と二ノ丸の間にあたる中ノ門
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より内側にあり、他の番所よりも位の高い与力・同心が警備を担当していたらしい。

 更に進むと先ほど見た覚えのある百人番所が目の前に現れたので、
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 雨に濡れたカメラを片付けた。


 東京の一等地に何と大きなお城が残っていることか…

「おとわ」に育てられた直政が入城した見事な大堀切のお城

箕輪城
 群馬県高崎市(平成28年5月19日訪問)

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 1500年頃、長野氏によって築かれ、度重なる武田信玄の侵攻を退け安定した地位を保ったが、1566年ついに落城し武田氏の上野経営の拠点と位置づけられ、真田幸隆(真田幸村の祖父にあたる)らが城代に任じられた。
 1575年、長篠の戦いで武田が滅び、一時的に北条氏政の弟・氏邦(鉢形城主)が侵攻したが、滝川一益により追われる。・・・が、信長が本能寺の変で倒れると、北条氏直・氏邦の大軍が上野国に侵攻、神流川の戦いで一益を破り、氏邦が再度箕輪城に入城する。・・・・このへんは「真田丸」で馴染みがある。
 その後、1590年、豊臣秀吉の小田原征伐の際、箕輪城は前田利家・上杉景勝連合軍の攻撃により開城、この年、徳川家康が関東に入封し、箕輪城は12万石をもって井伊直政に与えられた。
 ・・・ちなみに井伊直政の育ての親が「おんな城主 直虎」の次郎法師なのでNHK大河ドラマ繋がりだ
 直政は箕輪城を近代城郭に改造したが、1598年に高崎城に移り、それに伴って箕輪城は廃城となった。

 これがザックリとした箕輪城の歴史だけど、城主が代わるたびに造り替えがなされ、当初の長野氏時代とはかなり異なったものになり、今残っている箕輪城は最後の城主、井伊直政時代の姿に最も近いと考えられているそうだ。

 駐車場から移動し先ず目に入るのが搦手口案内看板
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 判りにくいので、見やすいものをネットから借用
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 坂を上がって二ノ丸跡に到着
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 そこから南方向に進むと土橋が架かっていて、向こうが郭馬出という曲輪なんだけど、なんやら工事中の様子
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 土橋からみた大堀切
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 あとで調べたところ、このブルーシートった工作物は、現在、復元工事中の「郭馬出西虎口門」らしい。(詳しくはこちら
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 工事中で前(三ノ丸方向)に進めないので、一旦本丸方向にってむことにした。

手前に本丸馬出しが確認できた。
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 ※ 本丸の二ノ丸側の東から南に鍵形の土居があった馬出し。

本丸に到着
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 ここには天守閣はなく、城主の住む建物や軍議酒宴を催したりするがあったとのことだ。

 本丸北虎口付近から遊歩道ができていて、そこから三ノ丸を目指す。
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 遊歩道と言っても、ようは本丸掘り沿いに歩いている。
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 ※ 右手が本丸、左手が蔵屋敷という曲輪

三ノ丸に到着。
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三ノ丸外側には石垣が残っていて、
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 ※ 三ノ丸門跡の石垣

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 この石垣の下には北条氏時代古い石垣が発見されているそうだ。

 更に前進すると、先ほどの郭馬出西虎口門(復元工事中)が見えてきた
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 だから、引き返して今度は本丸北側に位置する御前曲輪にやってきた。
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 この曲輪は実質的には本丸の一部であった。落城の際、城主はここの持佛堂に入って自刃し、一族郎党みな後を追ったと伝えられている。(…と説明文に書かれている)

 ここには大きな井戸があるが、この井戸は昭和に入って豪雨で起こった地盤沈下発見されたそうだ。
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 ※ 深さは20mあるらしい。

 更に北側に新曲輪稲荷曲輪など沢山の見るべき所があるようであったが、時間の関係で断念した。


  また今度ね!

織田陣屋で重宝された名水

雄川堰おがわぜき
 群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡(平成28年5月19日訪問)
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 ウキッキ等によれば「織田信長の二男、信雄が大阪夏の陣の功績により、元和元年(西暦1615年)7月23日に大和国松山(奈良県)三万石と、上州小幡二万石を家督相続させた後、織田宗家として小幡に陣屋を築いたときに整備したものである。織田氏及びその後を承継した松平氏は、御用水奉行を置き、水の大切さを説き、雄川堰の管理に力を入れたが、現在は地元住民の手により守られている。」のような説明だけど、
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設置されている説明文を読めば、それ以前にもこの堰の原型はあったようだ。
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桜並木が続き、春には花びらが流れて綺麗だろうと思う。
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買っちゃった

昨日、バイクの購入を決定した。

先日、R12Cとお別れしたばかりなのに…

次のバイクはこちらだ。
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Ninja ZX-14R
 ※ 3月上旬に納車予定とのこと。

黒い忍者… これからは「黒影」だ!

 これを判る人はかなり少なくなってきているだろうが、こちらが本家の「赤影さん」だ。
赤影

 これまでのバイクとジャンルが違うように思うが、ロングツーリングも苦にならないように、このような感じで仕上げようとしている。
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 ヘプコのサイド・リアケース装着であるが、サイドケースの取っ手があることと、リアケースにはバックレストも付ける予定でタンデムも安心。

 妻には「これで一緒に行けるね、長距離走っても、

 ダイジョ~ブ!」 
ダイジョ~ブ

 って言ったら、「アホか!」と一蹴された。

 頭からツノがはえて、こちらは「赤鬼」状態。

 これを抑えられるのは、「桃太郎」かそれとも本日の「豆まき」か?


 ※ 今回の写真は全てネットからの借用となります。
プロフィール

しんのじ

Author:しんのじ
 「私、50にして天命を知らず。」
 彷徨い続けるオヤジのブログです。
 気長にお付き合いください。

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