勇壮な金鯱をいだいた大天守(名古屋城)

名古屋城

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 ※ 大天守

 尾張国愛知郡名古屋(現在の愛知県名古屋市中区・北区)にあった城だが、別名が知っているだけでも「蓬左城」「楊柳城」「柳が城」「亀尾城」「鶴が城」「金城」「金麟城」「金鯱城」とこれだけ多い城も珍しい。

 戦国時代に今川氏・織田氏の居城であった那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が大坂城を包囲するため天下普請によって築城したとされている。    

 先ず、
正門から入って、
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 北側にある御深井丸を目指す。
 ここには西北隅櫓
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 ※ 堀の外から見た西北隅櫓

 があり、これは別名を清州櫓と言う三層三階の櫓で、清州城の天守だったと言われている。
 ここから南西に進み、

不明門(あかずのもん)
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 を通って本丸に入ると目の前にそびえるのが、

大天守(小天守から見る)
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 と
小天守(大天守入口から見る)
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 で、写真のとおり、橋台によって結ばれている。

 ちなみに天守閣に入るとすぐに実物大の鯱鉾が展示されていて
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 ※ 金ぴかに光っているが、本物の金ではない(当り前か・・・)

 天守閣から 北側には犬山城が見える。
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 ※ 判りにくいけど、中央の小高い山の上にあるやっちゃ!

 天守、小天守の南側にあるのが本丸御殿だが、現在復元工事の真っ最中につき、内部は見れない。
 でも、完成予想図がそこらじゅうに貼られているので写真に撮っておいた。
それがこちら
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 ※ なんでも3期に分けての工事で、全ての完成は平成30年になるらしい。

 本丸東側には、
旧二之丸東二之門があり、
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 この門の手前にあるのが有名な
清正石
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 ※ この城で最大の石垣石、本来この部分は黒田長政の担当であったが、あまりの巨石であるため、名手の加藤清正が積み上げたと伝えられている。

 本丸南側には
表二之門があり、
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 ※ 本丸への入り口で、古くは南二之門と言われた。

 こいつを出て、二の丸の方に行くとすぐに、
清正公石曳きの像がある。
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 ※ こうして清正公は大きな石を運ぶ際に音頭をとたのか・・・

 また、二の丸手前には
東南隅櫓があり、築城当時の姿を今に伝える貴重な建築物だ。
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 ※ 辰巳櫓とも言われる二層三階の櫓。

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 ※ 二の丸から見た東南隅櫓と天守閣

 更に進んで辿り着くのが
二之丸庭園
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 ※ 二之丸御殿の造営に伴って、その北側に造られた庭園で、回遊式庭園となっていて名勝に指定されている。 
 ここでUターンして正門の方に戻ると、
西南櫓が見られるのだが、現在は石垣の崩落に伴い、大規模な修理作業中・・・・
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 ※ 来年、秋には綺麗な姿で見ることができるそうだ。

 きっとこの角度から綺麗な写真が撮れることだろう・・・
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 是非、その時には来たいものだ・・・・・・







柿色に染まる村

 今日、洗車していつものとおり乾燥がてら、農免道路を走ってミカンを買いに行った。
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  ※ 2袋買って300円ナリ

 でも、今日はいつもより足を(10㎞程)延ばして四郷まで行ってきた。
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四郷・・・
和歌山県かつらぎ町にある文字通り四つの郷(さと)が集まった地域で、『広口(ひろくち)』『(たき)』『東谷(ひがしたに)』『(たいら)』を総称して親しみを込めて現在も呼ばれているが、地図には載ってない。

この時期、串柿(干し柿)が有名で、村中が柿だらけになる。

滝地区
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 ※ 柿をペッチャンコにする機械。話しかけてたら、やらせてくれた。
   両端に2つ、真ん中に6つで「何時もニコニコ、仲むつまじく・・・」のゴロ合わせだ


広口地区DSCF5419_convert_20131121180221.jpg

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 ※ チョット判りにくいが、後ろにあるのは懐かしの「バタコ(三輪車のトラック)」だ。

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平地区DSCF5429_convert_20131121180814.jpg

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 この地区のなかでも、大久保という地域がすさまじく
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 ※ 村中に柿の匂いが漂っていた。

東谷地区
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 ※ 結構な坂道をあがってきたものだ・・・

 こんなけ干した柿だらけなのに、山にはまだ柿がイッパイイッパイなっている。
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 恐るべし四郷の里・・・

至福の時

辛抱たまらず、ついに電気屋に行った。
、購入!
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コーヒーメーカー

私はコーヒーが大好きで、1日に少なくても10杯は飲んでいる。
でも、1年も前からコーヒーメーカが壊れていて、フィルターを受ける入れもんを取り出し、ヤカンから湯を直接そそぐ・・・このようにコーヒーをドリップしていた。

BEFORE
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 ※ なんと手間のかかることか・・・

 で今回、買ったコーヒーメーカーは濃さまで調節できるらしい。
 もちろん濃口でさっそくコーヒーをたてた・・・

AFTER
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 ※ なんと受ける方が魔法瓶でなかなか冷めないらしい。

結果、とてもせな気分!
前に買った信楽のカップを引っ張り出してきた。

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 至福のひと時だ!

三河武士の聖地 岡崎城

岡崎城

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 ※ 天守閣。前に2本の木があり綺麗に撮れないが、ここが一番よく見える場所だ。

 愛知県岡崎市康生町にあるお城
 別名は龍城で、(私の嫌いな)徳川家康の生誕地であることはあまりにも有名だ。
 江戸時代は「神君主出生の城」として歴代、家格の高い譜代大名が城主となっている。

 駐車場から一番近いのは東隅櫓で、
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 ここから階段を上がると、目の前に1号線が、左手には二の丸大手門が見えてくる。
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 ※ 最近復元されたばかりか、とても綺麗だ。

 見落としがちだけど、この大手門手前には、「二十七曲り」と書かれた碑があり、
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 これは、秀吉により家康が関東に移封された後、天正十九年(1591年)、秀吉配下の田中吉政が近世城郭に改修した際に吉政が岡崎城下を知る家康の上洛に備え東海道を城下に引き入れ道を屈曲させたものだ。
 やっぱりこの城は家康がウリだから、田中吉政の存在についてはあまり触れられていないのでチョットくどいけど書かせていただきました。
 あまり言いたくないけど、調べてみると天守閣大手門もしかり歴史事実に忠実な復元はされていないようだ。

 大手門をくぐると昔の二の丸であり、今は公園化にされ「三河武士のやかた 家康館」という歴史博物館がある。
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 スタンプはここでもらえる。
 ここでは、松平家と家臣たちの歴史がよくわかり、複製ではあるが家康所用の金蛇尾具足
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 ※ 後で判ったが、写真撮ったらあかんみたい。

や家康四天王の一人 本多忠勝に関する資料数多く展示されていた。

 公園化された二の丸跡には
家康の銅像
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 や

本多忠勝の銅像
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 また、これが結構面白かったが、からくり時計があり、毎時0分と30分になれば、3面がパカッとひらいて家康が能を舞うものだ。
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 そこから天守にいたるまでに新旧の家康がならんだ「ベンチ」があるが、
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 ※ 左が竹千代 右が家康がデンと座っている。
 ベンチって言うんやったら、「家康さんもう少しっこに座ってもらわんと、こちっが座れませんわ!」←さっきから、否定的なことばかりでごめんなさい。

 天守閣前には家康の遺訓遺言の碑が置かれている。
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※ 手前が東照公遺訓碑、奥が遺言だ。 天守閣の右側は天守付櫓

 天守閣の中は撮影できないが、天守の楚石が触ってもよい(なんでも出世のパワースポットだとか)との事だったので写真を撮っておいた。
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 あと、家康ゆかりとして特筆すべきは、
 家康誕生の際の「えな(胎盤)」を埋めたとされる
えな塚 
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 家康誕生のおりに産湯として使ったとされる
東照公産湯の井戸
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 ぐらいか・・・あと、しいていえば
しかみ像
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 ※ 三方ケ原で武田の大軍に無理な戦いを挑み、多くの家臣を失ったときの家康の像らしい・・・

 ぐらいかな・・・・

 あと、歴史的に紹介したいのが
清海堀
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 ※ 創築者の西郷頼嗣(清海入道)の名を伝える空堀。 この城で一番深い。

と 乙川にある、昔の船着き場に残る当時の石垣
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 ※城の麓まで船が着いたため、「5万石でも岡崎さまは、お城下まで船が着く」と言った古謡がある。 

 またまた、長くなってしまったけど、まだまだ、言い足りない・・・
 だけども、これ以上書いたら、また、否定的なことをぐだぐだならべそうなので、この辺でやめときます。

霊峰から湧き出る神の水

洞川湧水群

 霊峰大峯山のある熊野川の最上流にあたるので、混じりっけのない綺麗な水だ。
  ※ 久しぶりに綺麗な水にありつける・・・

 なかでも有名なのは以下の2つで、住民は常に水に接し、親近感と信仰心を抱いている。

ごろごろ水
 この付近はカルスト地形で有名な地区で、地中の水路を流れる水がゴロゴロと音をたてて流れる事から、“ごろごろ水”と命名されたと言われている。
 こちらは駐車場が整備されていて、連日多くの人が訪れる。
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 各駐車区画の後方に蛇口があり、水が汲める。
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 駐車料金300円を払えば、いくらでも水を汲めるので、こんなふうに
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 車イッパイに水を汲んで帰る人がざらである。

 駐車場の裏側は綺麗な渓谷だ。
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 元の水汲み場はこちらだが、今は汲めない。
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泉の森
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 村の入口、鬼門に当たり、樹齢300年を超える御神木の奥にある洞穴から清水が湧出しており、この水を“神の水”として保全している。
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水汲み場
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 ※ ピンボケ・・・

 天川村にあり、他にも観光・パワースポットが満載なので、ゆっくり時間をかけて訪れたいところだ。

家康 征伐ツーリング

 前にも述べたと思うが、私は家康大嫌いだ!(←やり方が陰険だから)

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 ※ 岡崎城にある家康像

 でも、一番嫌いなのは小早川秀秋やけど・・・(もし、タイムマシーンに乗れるなら関ヶ原の戦いで一発食らわしたいと本気で思っている。)

 どうでもいいことはさておき、今日は「家康征伐」と題し、ゆかりの城を訪ねるツーリングに行ってきた。
 「さあ、これから成敗してくれるわ!」と意気込んで朝4時に出発し8時に「家康生誕の地」岡崎城に着いた。
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 ※ 大手門前、天守閣はバイクと一緒に写せる場所がない。

 戦とあって、こっちも「ヨロイ」でかためた。(上から下までカドヤで揃えた…5年ぶりに着た。)
 でも、「」に不備が・・・

 判ります?
 右手の下部分(R1200Cのエンブレムの下)にメッキのエンジンカバーがあるんやけど、家にれてきちゃった。(←家では外してトリクル充電器を繋いでいるから。)

「一生の不覚じゃ!」


 ともあれ駐車場に手負いの「」を繋いで、天守に攻め込んだ
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 すると、思いもよらぬものが「つぼ」にはまってしまった。
 それは、天守閣の前にある「人の一生は重荷を背負って・・・」って有名な家康の言葉を刻んだ碑があるんやけど、
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 その下にいるカメさんのが「すぎる・・・」こと。
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 ※ マリオに出てくるキラに似てる。

 岡崎城の次は名古屋城だが、その前に岡崎と言えば「八丁味噌」ということで、誕生の地
八丁蔵通りを訪れてから
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 ※ こっち側はエンジンカバーついてるもんね!

名古屋城に向かった。
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 ※ バイクと撮るなら午前中でないとダメ、あとは全て逆光でこの場所しかない。

 この天守閣でも「おもろいもん」を発見した!
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 それは、内部で石垣の石を運んでいる人たちを展示しているのだが・・・
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 真ん中の人が・・・
 トリビアの泉(古い?)とかダイハツの宣伝に出てる「高橋なんとかさん」に見えて仕方なかったこと・・・
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 ※ 似てない?

 一人旅にもかかわらず、その場でい転げ、帰りも思い出しヘルメットの中で声出してっていた。
 返り討ちにあってしまったゼ!
 

天空の城

天空の城

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 ※ 立雲峡から見る竹田城

 この名声をほしいままにし、現在人気絶頂なのが竹田城だ。
 過去に訪れた時に見事な雲海に感動し、そこから私の城めぐりが始まったと言っても過言ではない。
 ただ、今は訪れる人が半端なく多いため、石垣がれたりして、とても残念なことになっている。
 それと、私はできるだけ人が入らない写真を撮りたいと思うが、この城にあっては絶対無理だ!

 前置きはこれくらいにして、
 ハイ、それでは竹田城の歴史の勉強です。 
 1431年、山名持豊が築城にかかり、2年後に完成し家臣の太田垣光景(はい、ココ大事①)を城主として配置する。
(のち持豊は出家して宗全と名乗る。1467年に始まる応仁の乱では西軍の将となる。)
  それ以後、山名氏家臣の太田垣氏が竹田城主を6代続けて務める。
 1542年 山名祐豊が生野銀山を開く。
 1556年 5代目竹田城主・太田垣朝延は山名祐豊から生野銀山領有権を奪う。
 1569年 羽柴秀吉が但馬を侵攻し、生野銀山から此隅山城まで10日間で18の城を陥落させる。
 1573年 太田垣朝延は毛利氏へ投じる。
 1577年、秀吉が再び但馬侵攻、竹田城を攻略し弟の羽柴秀長(ココ大事②)を城代としておく。
 1580年 秀長配下の桑山重晴(ココ大事③)が竹田城主となる。
 1585年 桑山重晴が和歌山城へ転じ、秀吉に投降した赤松広秀(ココ大事④)が2万2千石を与えられて城主となる。
      今ある石垣は、この時代に改修されたものだ。
 1600年 関ヶ原の戦で赤松広秀は西軍に加わり敗北するが、徳川方の亀井茲矩の誘いで鳥取城攻めに参加する。
     しかし、城下を焼き払い落城させたものの、この焼き払い作戦に家康がご立腹!亀井茲矩はその責を赤松広秀に負わせたため、広秀は切腹・改易となり竹田城は廃城となる。(一方の亀井茲矩は功績により加増されている。なんと意地汚いやっちゃ!)

 ハイ、大事と言ったところは、よ~くえておくように!


 それでは竹田城の写真を紹介しましょう。

天守台(二ノ丸から見る)
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 ※ 左が南千畳

南二ノ丸南千畳(天守台から見る)
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 ※ 雲海がスバラシイ!

本丸天守台(南千畳から見る)
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北千畳(南二ノ丸から見る)
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北千畳
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南千畳(平殿から見る)
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 この時は雲海が綺麗だったので、もう少し紹介させてください。(←ほぼ、自己満足
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 ※南千畳越しの雲海

立雲峡からの竹田城
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麓の播丹自動車道の橋脚から見る竹田城
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 は~い、それでは復習の時間です。
 いきなり応用問題!
第1問
 竹田城は縄張りが虎が臥せているように見えることから、別名 虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)と呼ばれているが、和歌山城も城が建っている山を海上から見ると虎が伏せているように見えることから、別名を虎伏城(とらふせじょう)と呼ばれています。
 それでは、和歌山城の築城者は誰でしょう?
 ・・・・・・答えはココ大事②の人です。

第2問
 竹田城の麓には寺町通りと呼ばれる通りがあり、600mの区間に4件のお寺と表米神社が立ち並んでいますが、その4つのお寺のうち、
常光寺
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初代城主の墓があります。
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 初代城主は誰でしょう?
 ・・・・・・答えはココ大事①の人です。(て言うか答え写真に出とるやん!)

第3問
 同じく寺町通りの
法樹寺には
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最後の城主の墓があります。
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 最後の城主は誰でしょう?
 ・・・・・・答えはココ大事④の人です。(これは写真では判らない・・・)

最終問題
 ちなみに、天正十三年(1585)秀吉が弟の②に命じて築城させたのが和歌山城の始まりと言われていて、②は築城の名手でもある藤堂高虎に命じて築城を開始させたが城の完成を見ずに大和郡山へ、翌年の天正十四年(1586)、代わりに城に入ったのが、②の家臣③である。
 ③は関ヶ原の戦いまでの14年間、在城し和歌山城の本丸部分を中心に築城を進めた。
 ③は誰だ?

 ヒントは過去、2013.4.14のブログ(和歌山城)を参考にしてください。← ホントはリンクさせて「ポチッ」としたら開くようにしたいけどやり方がわからん…残念!

 
 以上、和歌山城との奇妙な関係も書き綴って終わります。
 長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 

2つの橋

 今日、ランニングしていたら、突然のにあったが気にせず走っていた。
 しばらくして雨もやみ、目の前に2本の橋が見えてきたので、立ち止りスマホで1枚撮った。
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 ※ ホントはもっと綺麗に見えたが残念だ・・・

 関空に架る連絡橋虹の橋

 「虹は橋になってない!」と言う声も聞こえてきそうだが、その場合はっこの「はし」ということでご勘弁を・・・

 ほなさいなら~

「天上の秋」 天川村に行って来ました。

天川村に行って来ました。

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天上の秋 ここは天川」のキャッチフレーズで、ちょうど今日、明日と「もみじまつり」が開催されるが、今日の目的はそれじぁなく・・・

洞川湧水群だ! 
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 「やれやれ、また名水かい」・・・って声が聞こえてきそうだが、紹介しよう。
  天川村洞川周辺の湧水群で、「ごろごろ水」や「泉の森」が有名。駐車場も整備されて連日沢山の人が訪れている。

 前日に探偵ナイトスクープを見てから出発(家族全員、この番組だけは外せない・・・)
 3時ゴロに「ゴロゴロ水」の駐車場に到着したが、9時からしか入れないらしい。
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 仕方が無いので、その場で寝ることに(どうせ駐車場内で寝ようと思って来た)
 朝、6時になって私は起きたが、辺りは4℃と気温がとても低かった。(・・が、この格好で快適!)
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 ※ 人型の寝袋着て運転してきたので、そのまま寝たもの。

 9時までまだ3時間あるし、ほかのとこ廻ろうと、「泉の森」に向かった。

泉の森(名水のひとつ)
 村の入口、鬼門に当たり、300年を超える御神木に囲まれた場所で洞穴から清水が湧出している。
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 ※ 突然、起された子供らはまだ眠気マナコだ。・・・って言うより、まだ寝間着姿だ。

 その後、龍泉寺を訪れ、

なで岩
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 ※ なでて持ち上げると軽いが、叩いてからだととても重く感じる不思議な岩だ。(本当にそう感じた。)
   うちのこどもも褒めたらよぉー動くので、同じだ!

かりがね橋
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 ※ 村にかかる全長120メートルのつり橋

また、紅葉を楽しんだ。
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 この後、ゴロゴロの駐車場に戻り、8時ゴロに着いたが、すでに入場待ちの車がをなしていた。
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 ※ われわれは7番目

 9時になり入場すると各駐車区画の後ろに採水口があり、みんな必死になって水を汲み始めた。
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 ※ うちも一緒だ・・・

ごろごろ水
 この付近はカルスト地形で有名な地区で、地中の水路を流れる水がゴロゴロと音をたてて流れる事から、“ごろごろ水”と命名されたと言われているらしい。
 駐車場で300円を支払えば、思う存分取水できるようになっている。
 ここの水はネット販売もされているぐらい有名だ。
 
 水汲みはここで済ますが、本当の採水ポイントは、ここだったらしい。(今はここでは汲めない)
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 ※ 前の写真の場所・・・ジャンプするって言って聞かないから字が隠れている・・・

 水をイッパイ汲んだ後は、鍾乳洞を訪れた。

五代松鍾乳洞
 昭和8年に赤井五代松氏が発見したらしいこの辺で一番有名な鍾乳洞だ。

 山の中にあり、最初、歩いて登ろうとしていたのだが、
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 上の子がこんなものを見つけてしまい、
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 ※ 村の人いわく、モノレールらしい・・・

 結局、この笑顔だ・・・
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 あっと言う間に入口に到着。
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 鍾乳洞内では、ガイドさんの案内が付くが、何千年もかけて出来たものにもかかわらず、
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 っても、さらにはこんなことしても
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 ※ 完全に入り込んでいる・・・

 何にも言われなかった。(・・て言うか「一緒に撮るんやったらシャッター押そか?」まで言ってくれた。)
 結構狭く、探検気分をひとしきり楽しんだ後、出口を出たら目の前に
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 綺麗な紅葉が飛び込んできた。

 天川村は今のシーズンが一番良い。
 また、来年に是非、訪れたいものだ。

屏風岩・小太郎岩 なう!

 昨夜、ひょんなことから、職場の同僚と3人でツーリングに行くことになった。
 不定休の我々が、たがいに明日休みと知り、その3分後には行き先まで決まっていた。
 ※ O君とW君、職場の後輩だが、バイクの大先輩だ。

 行き先は、6日前に行ったばかりの屏風岩小太郎岩だ!
  ※ もう見ごろかな~と期待を抱く・・・それともう一つのお楽しみを約束した。

 朝、7時に集合し、屏風岩には11時頃到着した。
 こっちも
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 あっちも
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 どこから見ても
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 綺麗に色づいていたが、バイクと撮ろうと思えば、なかなか良い場所がない・・・
 せんど探したけど、ここが一番良かったかな?
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※ でも、この場所で3台のバイク並べることができない・・・

 また、一所懸命に場見って、結果ここで写真を撮った。
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 ※右からZX-10(W君の)とVFR(O君の)
  ともに1000CCだが、速くて全くついていけない・・・

 続いて、曽爾高原にも行ったが、もうススキのシーズンは終わりを迎えつつあったので写真は省略!

 次に向かったのは小太郎岩
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 ※ 来週ぐらいが見ごろかな? もう少し赤く色付くと思います。

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 ちなみに、小太郎岩の真ん中に、ライオン岩と言われる部分があるのだけれど
 この部分
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 どう見てもにしか見えないのは私だけだろうか?


 最後にもう一つのお楽しみだが、それは当然のごとく
 ご当地B級グルメだ! 

伊賀食堂
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 ※ 三重県伊賀市柘植町にある大衆食堂

 前に三重県亀山市にある亀八食堂に行ったことがあるが、同じように味噌仕立てでホルモンと玉ねぎを食するスタイルだ。(こちらの方がピリ辛だ。)

 使い込まれた鉄板
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具材をこんな風にのっけてする・・・
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 しばらくするとこんな風に・・・
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 ちょっと食べて、うどんを投下・・・
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 もぉ~ たまらん
 ヨダレがとまらんゼ・・・

 店にはこんなレトロなものもありました。
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 ※ 中身は新しいようです。


 日の明るいうちに帰宅した今回のツーリング、疲れも無く、とても楽しかったです。
 O君、W君ありがとう。
 また誘ってく~ださい。


戦国大名に変身した毛利の山城

郡山城跡
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 広島県安芸高田市吉田町にあったこの城は、戦国武将毛利元就の居城としてよく知られている。
 江の川と多治比川に挟まれた吉田盆地の北に位置する郡山全山を要塞とする巨大な城郭であるが、初代、毛利氏が吉田荘(よしだのしょう)の地頭職として下向した建武3年 (1336年)、郡山南東の一支尾根に築城初期は砦のような小規模な城だった。
 しかし時が過ぎて、12代目にあたる毛利元就の時代に国人領主の盟主から戦国大名への脱皮を図り、郡山全体に城域を拡張し、城内には城主元就だけでなく、嫡子毛利隆元や一部の重臣たちの館も設けられ、戦時のみ城郭に籠もる従来型の山城から、平時の居館と戦時の城郭が一体化する近代的な性格を持つ城に変貌を遂げ、後に輝元が広島城へ移るまでのあいだ居城としていた。

元就公の像
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 ※ 城巡りは歴史民俗博物館からスタートし、一番初めに目に入るのがここ。

 更に坂を登って行くと、

元就火葬場伝承地
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 ※ 元就公はこの場で荼毘に付されたらしい。

大通院谷(だいつういんだに)遺跡
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 ※ 石垣、堀、建物の柱穴が出土したらしいが、今は公園となっている。

西谷地点石垣
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 ※ 山の麓にある石垣で、平成18年の豪雨による崩落で発見されたもの、周りの出土品等からも16世紀後半のものと推定され、築城当時は山の上部だけであったものが、このころには山裾まで及んでいたことを示す資料となっている。

 さて、寄り道はこの辺で、目的の本丸を目指すが、大きな鳥居をくぐることになる。
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 ※ これは元就公の墓所へ向かう参道入り口に設置されているものだ。

 山道をしばらく歩くと、墓所にいたる。
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 元就公の墓所は洞春(とうしゅん)境内にあり、参道は苔生してその荘厳さに深みを増している。
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元就公の墓
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 ※ 内部には大きな木が寄り添うように生えていた。

 お墓と向かい合わせに建てられているのが、

百万一心碑
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 ※ 「一日一力一心」と彫られており、私には難しいことは判らないが日を一つにし、力を一つにして、心を一つにするという協同一致の精神らしい。

 この碑の裏が本丸に至る登山口となっている。
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 ※ いざ、参らん!

 少し行けば、また、お墓が・・・

嘯岳(しょうがく)禅師の墓
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 ※ 元就公葬儀の際のお導師さんらしい。
  
 そこから結構な山道をしばらく歩くと、お城の遺構が見えてくるが、先ず簡単に城の構造を説明すると、標高約389メートル(比高200メートル)の山頂部から放射状に延びる尾根とその支尾根や谷部に大小270以上の郭が見られ、一部は堀切などによって区画されているる。 山頂部が本丸で一段下がり二の丸、さらに三の丸と続いている。

本丸跡
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 ※ 元就による拡張後の中心地。郡山山頂に位置し北端に一段高くなった櫓台が残る。全盛期には三層天守があったという。

櫓台から見た、本丸跡二の丸跡
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二の丸跡DSC_2612_convert_20131105231813.jpg
 ※ 高さ0.5m幅1mの石塁や石垣で囲まれ、27メートルと15メートルの方形に区画されている。

三の丸跡(三の丸跡から見た二の丸跡、本丸跡)
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 ※ 城内最大の曲輪で、石垣・土塁・掘削などによって四段に分けられている。

厩の壇跡
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 ※ 三の丸の東から東南に400メートル伸びる尾根の基部で、壇の下に馬場があった。

釜屋の壇跡DSC_2630_convert_20131105234227.jpg
 ※ 本丸から15メートル下がった北側に位置し、炊事場だった。ここから北へ向かうと羽子の丸へ出る。

羽子の丸跡
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 ※ 本丸の北東にあり、独立した機能を備えていた曲輪。釜屋の壇とは幅7メートル、深さ3メートルの堀切で隔てられている。

姫の丸の壇跡
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 ※ 本丸の北にある曲輪で、本丸北側の石垣の基部にあたる。ここから百万一心石が発見されたと伝わっている。

釣井の壇
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 ※ 直径2.5メートルの石垣で組まれた本丸に一番近い水源の井戸があり、現在は深さ4メートルまで埋もれている。本丸の西側にある。

勢溜(せだまり)の壇
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 ※ 御蔵屋敷の下段を堀切で区画して独立させた大小10段から成り立っている。

御蔵屋敷跡
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 ※ 勢溜の壇と釣井の壇を繋ぐ郭。兵糧庫があったと云われている。

尾崎丸跡
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 ※ 旧本城と新城の間を繋ぐ位置にあり、堀切で区画されている。

尾崎丸の堀切
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 ※ 隆元の居館があったとされる尾崎丸と旧本城を区切っていたもの。

旧本城
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 ※ 郡山南東麓(標高293メートル)に位置し、建武3年(1336年)に毛利時親が築城して以来の毛利氏の本城だった。

 これらが主な遺構であるが、ここから麓に降りる途中に

興禅寺跡(郡山公園)
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(すが)神社
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 ※ 郡山の鎮守社で毛利氏の祈願所となった

があり、さらに降りて行くと、元就晩年期の屋敷跡とされる御里屋敷跡がある。ここには

三矢の訓跡碑
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 ※ 三本の矢…あまりにも有名だ
 この石を削って、兄弟ゲンカばかりのうちの子に飲ませたい・・・


 ここからさらに進むとスタートした歴史民俗博物館に戻る。

 ちなみに月曜日に訪れ、休館日であったがスタンプはこの博物館にしかない。
 途方に暮れて、電話すると女の人がでて(休日出勤らしい)、「博物館前にスタンプを押した紙を何枚か置いています。」と言ってくれたが、無理とは判っていながら「今、前にいるのでスタンプ帳に押さしてもらえないか?」とお願いしたら、快諾して頂き、スタンプを持って出てきてくれた。
女神のような人だ!」 感謝、感謝・・・

ほんまに名水か?

太田川中流域

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 広島県広島市の主要地を流れる太田川の中流域とのことで、
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 西中国山地国定公園の冠山をその源とし、本流はその後瀬戸内海に注ぎ下流でデルタを形成している。河岸緑地や親水公園の整備など良好な河川景観の形成を意識した水辺や河川の整備が積極的に行われ、市民の憩いの場になっている。
 豊富かつ良好な水質を維持している表流水は、広島市を中心とする地域の水道水源として人々のくらしを支えている。
と調べた結果ではあるが、遠目には綺麗な川だが、近づいてよく見るとこれまでで一番程度の悪い名水だ、(広島の人には悪いけど・・・)

 こんな感じ
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 ※ これを飲むのはさすがに勇気がいった!

 コーヒーのペーパーフィルターで何度も何度もこして飲んだのだ!
 自分でもよく飲んだものだと思う(馬鹿じゃないだろうかと真剣に悩んだ・・・)

マイナスイオン浴び放題!

 連休の中日、家族全員で赤目四十八滝に行って来ました。


 
 赤目四十八滝
 三重県名張市にある観光名所で実際に48の滝があるのではなく、イッパイあると言う意味らしいが、小さい滝を入れると48以上あるのではないかというくらい沢山の滝があった。

 入口を入ると併設している日本オオサンショウウオセンターで沢山の特別天然記念物を見ることができた。
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 そう言えば、手前にあった湧水「じゃんじゃの水」もオオサンショウウオの口から出とったわ・・・
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 ※ こういう場所になると小銭を置いていく人がいっぱいいるが、私にはその神経がよく判らない。汚いだけだ・・・
   「えらけりゃ諭吉君を置いていけっ!ちゅう~んじゃい!」

 それでは数ある滝の中で、ベストファイブに選ばれている滝を紹介しよう!
 行程順にだが、
 先ず第1は不動滝
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 続いて、千手滝
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 さらに続いて布曳(ぬのびき)
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 ここでプチ行者体験を・・・
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 失礼しました・・・続いて荷担(にない)
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※ 48滝の代表格となる滝

 琵琶滝
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 ※ 上の子が・・・写っていない・・・

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 ※ また、また、失礼いたしました。

 以上が赤目5瀑に選ばれています。

 他にも、雨降(あめふり)
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 ※ 迫ってくるモアイ像みたいに見えませんか?
 
 七色岩
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 ※ 岩の上にツツジやウメモドキ等7種の植物が自生し、四季折々の彩りを見せてくれるらしい。

 など、自然の美をイッパイ感じさせてくれます。

 でも、子供らはこんなところに来ると、探検気分ですぐにない場所に行く・・・
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 結果として、待っているのは・・・
 ずぶ濡れのズボンと靴だ
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 今度は嫁も一緒になってはしゃいでいるが・・・
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 ※ その右手に持っているのは、乾燥中の子供の濡れた靴下であることを忘れている。 

 まあ、何とあれ自然と向き合って心が豊かになれた気がします。

 帰りには、前に一人で来た屏風岩に立ち寄ると、
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 紅葉が始まっていました。
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 ※ 小太郎岩は、まだもう少しかかりそう・・・
 

今はもう 湧いてない?

出合清水

 広島県安芸郡府中町石井城一丁目、JR広島駅の東側に位置する住宅街の真ん中にひそりと佇む名水
 
 出合清水は東川の泉とも呼ばれ、使用にあたっての決まりごとがあり、湧水のある岩の下では飲み水に、次の囲いは米や野菜の洗い水に、最後の広い囲いは一般の洗濯用に使用されていた・・・
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 ※ 洗濯に使われている部分の方が綺麗に思えたので、ここの水を少し頂いた。

・・・らしいが、ご覧のとおり、現在は湧水も少なくなり、以前のように飲み水としては使われなくなっているようで、説明看板が取り付けてあったらしき跡にはが架けられている始末だ。
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 ちなみに車では入っていけない狭隘地区にある。
 ※ バイクでも大型車ならチョット気が引けるような場所だ。

大坂を模倣した輝元の居城

広島城

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 ※木造のように見えて実は鉄筋コンクリート
  さすがは「おしい!広島」→有吉いわく、おいしいの一歩手前らしい。

 毛利輝元が天正16年(1588年)に秀吉の案内で大坂城・聚楽第を見学した際、その荘厳な様や繁栄を目の当たりにし、自分の居城である郡山城が時代遅れで新しい城を建てる必要を痛感したらしい。
 郡山城に戻った輝元は、地理的に条件の良い広島で築城することを決意、翌年には着工に入り2年後の天正19年(1591年)には入城している。

天守閣(南側)
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 ※ 複合連結式望楼型5重5階の城閣で東と南に3重の小天守を連結していたが、大天守のみ復元(昭和33年)されている。

東小天守跡から見た天守閣
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 ※当然、東側・・・

天守から西側には原爆ドームが見える。
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表御門(御門橋から)
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 ※ この門をくぐって二の丸に入る。

二の丸側からの表御門
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表御門の隣には平櫓があり、奥(東側)の太鼓櫓とは多聞櫓で繋がっている。
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 ※ 内堀に反射した石垣が綺麗だ!

 今度は、太鼓櫓側からの内堀を撮影
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 ※ 太鼓櫓の2階には、時を告げる太鼓があり、城門の開閉や、登城の合図としていたらしい。

更に進むと

中御門跡
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 ※ 二の丸から本丸へと至る門

 通過すれば本丸下段だ。
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 更に進み、少しの石段を登ると、

広島大本営跡が見えてくる。
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 ※ ここは明治27年に始まった日清戦争の指揮のため設置された大日本帝国軍最高統帥機関の大本営だ。

 その先には

本丸上段跡がある。
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 この先が天守閣(初めに戻る)だが、天守閣は堀の外から撮影する方が「ミバがよい」と思う。

北東側から
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 ※ 本来こちらが一番映えるのだが、逆光で少しくらい・・・

西側から
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南西側
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 ちなみに、こんな広島城だが、車で来ると結構な駐車料金がかかる。
 でも、バイクで来ると、裏御門跡を通り、
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 城公園内を通過して天守閣の麓に無料で停めさせてくれるので参考まで・・・
プロフィール

しんのじ

Author:しんのじ
 「私、50にして天命を知らず。」
 彷徨い続けるオヤジのブログです。
 気長にお付き合いください。

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