素晴らしい扇の勾配

熊本城(平成23年7月23日 訪問)

前回きです。

 開門すぐに人のいない大天守小天守を撮った。
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 ※ 西側

 その後に撮った他方向は、人を避けて撮ることができなかった。
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 ※ 南側

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 ※ 東側

横手五郎首掛石
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 ※ 子供たちもこの頃は写真撮るぞ~と言えば飛んできたが…

説明は写真にて省略
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 振り返ると宇土櫓
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 ※ 城内に現残する唯一の多門櫓

 三層五階に加え地下も備えていて、高さ20メートルもあるこの櫓は天守と言ってもおかしくない規模である。
 確かにウチの近くにある岸和田城の天守より大きいのでは?

 宇土櫓から見た大・小天守
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大天守下から
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 ※ 西側

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 ※ 南側

 大天守は全面に石落としが張り出しているのに比べ、小天守は石落としが…
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 その理由は石垣傾斜いにあるのだろうか?
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 ※ 奥がかなり急勾配だ

 手前大天守小天守で、10年ほど遅れて小天守が建てられているが、その間に石垣積みの技術進歩したらしい。

 このペースで進むと、とてつもなく時間がかかってしまうので、ココからかなり端折っての紹介とする。

 この城の素晴らしさは何と言っても「石垣の美しさ」だ。
 何となく登れそうな気がするが、上まで来ると反りかえるような錯覚に陥る、別名扇の勾配」と呼ばれる清正流の石垣積みだ。
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 ※ 宇土櫓の石垣(高さ約30m)

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 ※ 東十間櫓の石垣(高さ約20m)

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 ※ 飯田丸五階櫓の石垣

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 ※ 天守付近の石垣群

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 ※ 竹の丸から見た飯田丸

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 ※ 竹の丸から見た天守 幾重にも石垣が重なって見える。

二様の石垣
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 時代を感じさせる有名なスポット。
 左の急勾配が細川時代、右の勾配が加藤時代であり、当然、後に築いた方が技術の進歩もありキツイ勾配を造れるが、私はやっぱり手前の清正流き(完全な贔屓目

地下通路
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 本丸御殿に入るための通路は「闇り(クラガリ)通路」と呼ばれるもので、二つの石垣を跨いで造られています。

 まだまだ沢山の写真があるけど、機会があれば、また、ジックリとご紹介したいと思います。

 今回はこれにて一旦終了ということで…

ガマダス熊本城

熊本城
 熊本県熊本市本丸 (平成28年9月30日訪問)

 昨年の大地震で無残な姿になっているのは分っていたが、訪れて被害きさに打ちひしがれた。

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天守拡大
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戌亥櫓
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宇土櫓の南側 続櫓もぺっちゃんこに崩れている。
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清正公も心なしか悲しそうだ。
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 復興までどれだけかかるのか判らないけど、それまでの間は何らかの形で協力したいと強く思った。
 ガマダセ! ガマダス肥後もっこす

 ココかから先は、5年前に訪問した時の写真を紹介したい。

 平成23年7月23日の訪問であったが、到着が5時で駐車場がまだ開いておらず、行幸橋近くの路上に車を停めて、城の外周を見て回った。(一緒の家族は全員車内で寝たまま)

 先ずはココからの「清正公の像
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 清正公像から東側にず~っと長塀(国重文)が続く
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 ※ 手前の坪井川が自然の堀となっている。 長塀は242mとか…

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 ※ 奥に見える行幸橋の手前に清正公の像がある。

長塀が途切れると平御櫓が現れる
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 ※ 手前を九州市電が走る。

別角度平御櫓
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 ※ こちらは須戸口門と呼ばれている。

 ココから城に入れるがまだ開門されていないので更に外周をまわると、横井小楠他4名銅像を発見。
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 ※ 横井小楠をめぐる維新群像

 他4名と失礼なことを言ったが、左から 坂本竜馬、勝海舟、横井小楠、松平春嶽、細川護久で、手前の顔だけのヤツ(6名)は省略しているが、写真のとおりだ。
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維新の仲間たちの銅像の向こうには東十八間櫓が見える。
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 ※ その手前は熊本大神宮

東十八間櫓
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 北側に回り込んでみると、これに北十八間櫓と続いているのが見れる。
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 ※ 全て現存で重文となる。 この石垣もたまらんね~

 更に北側に進むと、平櫓が現れ、城内に入れるようになるが、
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 続くこの門は、不開門(あかずのもん)であり、北東の鬼門とされ扉は閉ざされていたそうだ。
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 ※ 今は手前の料金所でお金を払えば入れる。(この世は金次第だ。)

 更に進むと、小天守が覗き見れる場所があり、その右手の石垣にはかつて櫨方三階櫓が鎮座していたそうだ。
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 更に進むと、加藤神社の北側に位置する棒庵坂が現れる。
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 下を見たらこうだ。(この城の特徴である井戸がイッパイ確認できる。)
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 ※ 右手が加藤神社

 加藤神社を左に見て(南側に)進むと、宇土櫓が目の前に現れる。
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 ※ 左に天守が見える。

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 ※ 3層5階。 現存11櫓の一つ

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 ※ 今、潰れてしまった続櫓がコチラだ。

 綺麗だ。

 宇土櫓の南側には頬当御門があるが、当然ここもまだ開いていない。
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 また、棒庵坂の方に戻って、二ノ丸(西側)方面に進む。
坂を登り切り現れたのが、戌亥櫓
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 ※ 天守・宇土櫓とのコラボ

 ココから本丸を左に見て二ノ丸公園を南側に歩いて行く。
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 ※ 手前の堀は水があるが「空掘」と言われている。

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 ※ 左が宇土櫓、中が小天守、右が大天守

 ちょうど朝日が昇ってきた。

 西大手御門から本丸に入る
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 内(本丸)側>
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 更に南大手御門をくぐって
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 先ほどの頬当御門に出てくる。
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 ※ 奥に見えるは大天守。

 時計を見れば、まだ6時なので開門までの間、車に戻ってひと眠りした。


 続きます。
 ※ 次は開門後にまわった城内をご紹介します。

島原の乱の引き金になった見栄っ張りの巨城

島原城
 島原市(平成28年9月28日訪問)
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 有明海を望み、雲仙岳の麓に位置するお城で、通称は森岳城

 関ヶ原の戦いから徳川の犬となった松倉重政が7年の歳月を費やして島原半島中央部の森岳に築城。
 この城は南北に連なる連郭式平城で、外郭は周囲約4kmの長方形で塀をめぐらし、城門が7か所、平櫓が33か所あり、内郭は堀にかこまれた本丸・二の丸を設け、その北に藩主の居館である三の丸が続きます。本丸には安土桃山式建築の粋を集めた総塗り込めの五層の天守閣をはじめ、3か所に三層櫓がそびえ立つ豪壮堅固な城構えで、禄高4万石には見合わない立派なお城です。
 ※ ウチの近くにある岸和田城がちょうど4万石と聞いているが規模は全然違う。

 重政はこの城を建てるのに、領民負担を強いただけでなく、徳川の顔色ばかり見ていたため、江戸城普請も物凄い安請け合いで、その費用捻出に過酷な搾取を重ね、また、徳川に尻尾を振って実施したキリシタン弾圧などが原因で重政の死後に起きた島原の乱の責任を問われて子の勝家は所領没収・断罪となっています。(私感が入ってます)
 以後、高力忠房,松平忠房らが城主となって、松平氏の時代(最後の城主は徳川慶喜の弟、松平忠和)に明治維新を迎え、以降は廃城処分となり建物などは撤去されが、昭和39年に天守閣が復元されたほか、巽の櫓や丑寅の櫓が復元されている。

 以上がこの城の歴史(かなり概略)であるが、『上位者に従順で、下位者に残酷』という私が一番嫌いなタイプのど真ん中が松倉重政なのでとても偏った書き方になってしまった。

 それではお城の紹介を・・・

 この城ほど天守閣直近駐車できるのはないだろう。
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 5層の立派な天守
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 城内はキリシタン資料館として利用されている。
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 ※ 天草四郎

 天守からは有明海雲仙普賢岳を間近に望む。
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 ※ 雲隠れ…

西の櫓
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 ※ ここでは全国の名城画が展示されている。

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 ※ 天守から見た西の櫓

巽の櫓(西望記念館)
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 ここには日本彫刻界の巨匠 北村西望氏(島原出身)の代表作が展示してあります。
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 西望氏は長崎平和公園の平和記念像の作者として有名な彫刻家で、これを見たら「ああコレ!」って思うでしょう。
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 ※ 当然レプリカだけど、横の写真で製作過程が判る。

丑寅の櫓
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 ここは民具資料館として使われていて、搦手門であった諫早門門扉が展示されている
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 その他、本丸には重政と築城工事中に死亡した人々を祀ったがある。
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 本丸の北側二の丸がある。
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 ※天守から見た二ノ丸

 二ノ丸は現在、島原文化会館となっている

 二ノ丸越しに見た天守
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 内堀の中に浮かぶように本丸二の丸が並び、廊下橋で結ばれていたようだ。
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 ※ 廊下橋台の石垣 左手に丑寅櫓が見える。

 こんな風に橋が架かっていたらしい。
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 この城が一番綺麗に見えると思う場所は巽の櫓越しに見る5層天守だ。

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 ※ 同じような写真を何枚も撮ってしまった…

 左の石垣が見事な屏風折れだ!

平戸瀬戸を望む松浦水軍の城

平戸城

 長崎県平戸市(平成28年9月27日訪問)

 平戸城は、別名「亀岡城」と呼ばれ、平戸瀬戸に突出した平山城で松浦氏の居城として知られています。
 1599年(慶長4年)に松浦鎮信によって日之嶽城として築城を開始しましたが、完成間近となった1613年(慶長18年)に徳川幕府への配慮から自ら城に火を放ち焼き捨てました(これで平戸6万石と民を守ったのだ)。
 その後、鎮信は御館を建築して平戸藩庁として代々の居城としました。
 江戸時代中期に入り、5代藩主・松浦棟は東シナ海警備の必要性もあり、1704年(元禄17年)2月に日之嶽城跡に城の再建を開始し、1707年(宝永4年)に完成しました。再建にあたっては山鹿素行の軍学に沿って縄張りされましたが、赤穂城と並び、数少ない山鹿流による城郭です。
 廃藩置県後の廃城令により廃城となり、翌年、現存する狸櫓北虎口門(搦手門)を残し、城の建物は解体されたが、現在、城跡は亀岡神社の境内や亀岡公園として整備されており、模擬天守や櫓が建てられています。
 その天守閣からの眺めは素晴らしいです。


二ノ丸跡
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乾櫓
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 ※ 売店になっている。

地蔵坂櫓
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北虎口門(唯一の現存木造遺構)
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 ※ 外側

狸櫓
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 ※ 外側

本丸門
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 ※ 外側

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 ※ 内側

天守閣(元々は二重の沖見櫓だったらしい)
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 ※ 東面

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 ※ 北面

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 ※ 西面

南面は海に面している


天守からの
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 ※ 見奏櫓を見下ろし平戸瀬戸を望む

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 ※ 小さい島は黒小島で原始林は天然記念物とか

見奏櫓(けんそうやぐら)
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懐柔櫓
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大手門跡
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千代田区をスッポリ呑み込む大城跡

江戸城
 東京都千代田区 (平成28年5月17日訪問)

 降りしきる雨の中、先ず桜田門を見ようと皇居外苑を歩いていたらビックリした。

 楠正成公銅像があったことにだ。
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 楠公(なんこう)さんが何故

 南朝の後醍醐天皇を死守しようとした忠臣(私は大好きな一人)だけど、何故

 裏切り者家康ツメの垢でも煎じて…と言うこと?(はかなりのアンチ家康

 色々考えながら桜田門に到着
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 手前の高麗門と奥の渡櫓門
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枡形を形成している。

 そこから有名な二重橋に移動。
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 手前の皇居正門に続く石橋
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 ※ 奥に見えるのが伏見櫓だ。

とその奥にかかる鉄橋
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なってえるから二重橋だということを初めて知った。

 続いて坂下門を見て、
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 ※ 普段は外国人でイッパイらしいが、今日の天気では…

 そこから桔梗門へ移動
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 坂下門と同じく、この門を入れば皇居に繋がるためか、警備員(皇宮警察)が睨みを効かせていて入れない
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 この場所から見える櫓は巽櫓
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 ※ 右手は大手町のビル街

桔梗壕桔梗櫓
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 続いては大手門
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 手前の高麗門
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と奥(内側)の渡櫓門
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枡形を形成。

 渡櫓に載っている
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 この門をくぐって、本丸方向へ進む。

 手前に同心番所
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 ※ 上位の役人が詰めていたそうな

 百人番所を確認
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 本丸二ノ丸に通じる要所の大手三ノ門
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 この門の前にある番所で鉄砲百人組と呼ばれた甲賀組、伊賀組、根来組、二十五組の4班体制で昼夜交代の100人ずつ配置されていたそうである。

 ここから二ノ丸方向(北側)に進み、諏訪の茶屋を見る。
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 江戸時代には吹上地区にあったらしいが、皇居東御苑として整備されるときにこの場所(二ノ丸跡)に移設したもの。

二ノ丸庭園
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 更に北側に進み平川門に至る。
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 この門も渡櫓門帯曲輪門)と
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高麗門
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枡形を形成だ。

 この門を出て、すぐにある木橋
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 渡る際左手に竹橋が見えるが、平川門の渡櫓門から竹橋までこの写真の左手に見える細長い曲輪が延びていてその右側の堀が大手壕、見えないが左手が平川壕と呼ばれている。
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 竹橋を渡って、平川壕沿いに歩いて行くと、北桔橋門が見える。
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 この門をくぐることなく、一旦、に進路をとって北方向に進む。
 北の丸公園に入って、日本武道館を発見。
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 更に北に進んで、公園の出口に至るが、これが田安門となっている。
この門も渡櫓門
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 くぐって左に見える高麗門
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枡形を形成。

 門をくぐって、更に北進靖国神社に至り、
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 英霊の御霊にこうべを垂れたのであるが、ここでは割愛として、北桔橋門に戻ることにする。
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 この橋から見る石垣は見事だ。
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 ※ 向かって右の乾壕

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 ※ こちらは左の平川壕

 北桔橋門はこれまでクドイほど紹介した枡形ではなく、門を一つくぐるとすぐに天守台が現れた。
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 回り込んで天守台の入口側
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 天守台から見た本丸
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 ※ 手前には大奥があったらしい。

 この本丸を南方向に進んでいく。

 右手に「松の廊下跡」を見ながら、
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 ※ 「殿中でござる!」 の殿中は本丸の意らしい。

 本丸の南つきあたりに富士見櫓を発見。
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 ※ 中には入れない。

 元々19あった櫓のうち今あるのは、この櫓と伏見櫓桜田二重(巽)櫓三つらしいが、唯一の三重櫓とのこと。

 ここから東方向に進み、大手門に戻る途中に大番所を発見
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 これは本丸と二ノ丸の間にあたる中ノ門
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より内側にあり、他の番所よりも位の高い与力・同心が警備を担当していたらしい。

 更に進むと先ほど見た覚えのある百人番所が目の前に現れたので、
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 雨に濡れたカメラを片付けた。


 東京の一等地に何と大きなお城が残っていることか…
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しんのじ

Author:しんのじ
 「私、50にして天命を知らず。」
 彷徨い続けるオヤジのブログです。
 気長にお付き合いください。

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