土塁と堀で守られた御三家の城

水戸城
 
 茨城県水戸市(平成28年11月12日 訪問)

 水戸城と言えば、御三家黄門さまが真っ先にイメージされるが、元は秋田に移封された佐竹義宣(久保田城でも紹介)が大改修したお城である。
 でも、佐竹色など一切なく、町は徳川められていた。

JR水戸駅
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 駅前で黄門さま御一行出迎えてくれる
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 北に向かって歩くと大手橋に至る。

大手橋の下  
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 水戸城の二の丸三の丸を分ける空堀だったが、自分が通ってきた道がそれだと今になって気付いた。

 三の丸は弘道館のあった場所。

正門
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弘道館
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 弘道館は水戸藩の藩校で9代藩主徳川斉昭が開設したが、黄門さまの夢でもあったとのこと。
 藩校として全国一の規模を誇る敷地内には、文館・武術を修練する武館医学館天文台馬場調練場など現在の総合大学の様な施設であったらしい。

 ココに車を停めていて移動。

三の丸跡西側の空掘
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 ※ 右手(三の丸側)には、さらにこんもり盛りあがった堤が見える

 弘道館から移動する。

大手橋
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 ※ 渡る前 奥が二の丸
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 ※ 渡った後 奥が弘道館

 この橋は二の丸と三の丸を繋いだ橋であり、大手橋の二の丸側にあった門が大手門
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 二の丸は今、彰考館御廟所のあった辺りに第二中学校
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三階櫓
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 ※ 戦災で焼失した。実質上の天守閣であったとか

のあった辺りが今は第三高等学校になっている。
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 あたりには、水戸城跡の大シイ(天然記念物)や
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杉山門があった。
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 更に東に進むと、二の丸本丸を繋いだ本城橋に辿り着く。

本城橋
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 本丸跡第一高等学校
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薬医門
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 ※ 外側

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 ※ 内側

 現存する唯一の建築遺構で、本丸から二の丸へ通じる橋詰門と推定されている。

柵町坂下門
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 ※ 二の丸の南口 くぐって坂を登れば二の丸に入る柵町門があった。

 水戸城跡には他にも幼稚園小学校中学校イッパイあって、健学の精神が引き継がれていた。
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 ※ 写真は三の丸小学校

「南朝方の根本」になるべく名付けられた陸奥国のお城

根城
 青森県八戸市(平成28年11月10日 訪問)

 根城は、建武元年(1334年・南北朝時代)に南部師行(なんぶもろゆき)により築城された城。
 師行は、甲斐の国からはるばるやって来て、この地に城を築きましたが、3年後に北畠顕家と共に私が住む近くにある泉州石津(堺市)で北朝方の足利軍との戦いにれて討死してしまいます。
 でも、その後も根城は子孫らによって南部氏の居城として守られて、寛永4年(1627年)に領地替えにより岩手県の遠野市に移住するまでの約300年間八戸地方の中心となっていました。
 本丸のほか中館、東善寺館など合わせて8つの郭からなる平城で約18.5万平方メートルの城跡で、昭和53年から行われた、11年間にも及ぶ発掘調査の後、本丸主殿などが復元されて、また、周囲は「史跡根城の広場」として整備されています。

 入口手前にある八戸市博物館前の南部師行の銅像
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旧八戸城東門(「史跡根城の広場」の表門)
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 ※ 外側

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 ※ 弘前城でえらい目にあったので、長靴買ったが必要なかった。

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 ※ 内側

 門をくぐると、綺麗に刈られた芝生の間に道が整備され本丸まで続いていた。
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 歩いていると、すぐに三番堀(空堀)に遭遇する。
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 結構な深さの堀だ(写真では判りにくいが・・・)。

東善寺跡
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 お寺があった曲輪らしい。


 家来が住んでいたとされる曲輪の中館の手前にも堀跡があった。
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中館跡
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 芝生の広場になっている。隅っこに復元された建物が見える。

 復元された中館の館
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 中館にある本丸の模型
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 中館から木橋を渡ると本丸となる。
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 ※ 本丸周囲は柵と堀で守られている。

 この日は改修中なのか通れなかったので、仮設通路を通って本丸へ進入。
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 入ってすぐ左手に納屋が復元されていた。
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 竪穴式の建物で萱葺きの屋根が地面近くまで葺きおろされている。
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 ココから料金所を通り、有料地域に入る。
 真っ先に目に入るのが殿さまの住んでいたとされる

主殿
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 ※ 珍しい造り。

 儀式で使う道具や南部家に伝わる重宝もここに納められ、大切に管理されていたようだ。

詰之間
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 食事を準備したりする使用人たちが詰めていた場所。

主殿の広間
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 中では正月十一日の儀式の様子が再現されている。
 膳には質素な食べ物が並んでいる。

祈祷之間
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 外に出ると、上馬屋があり、殿さまの駿馬(木製)が繋がれていた。
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 少し離れた所に大きな馬屋(中馬屋)がある。
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 こちらの馬屋は来客用の馬を繋いでいたとのことだ。

物見跡
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 この建物跡は、遠くを見張るための櫓があったところ。
 敵の気配や荷物を積んで馬渕川を行き来する船の様子を高い所から見張っていた。


儀式の祭壇跡
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 土俵のように高く盛り上がっているところは、神様が祭られた神聖な場所と考えられている。

工房
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 その中は、弓や矢などの武器またなどの製作修理を行っていた状況が展示されている。
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野鍛治場
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 屋外の鍛冶場で、壊れた鉄鍋や銅銭などを溶かして造り直していたところ。


鍛治工房
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 この建物は竪穴式で、地面から下にある鍛冶場では職人がの部品の他に、などを作っていた。

板蔵
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 板蔵の内部に入ると、当主やその家族が使う道具や衣類などが納められていた。
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 帰り道に一段上がった本丸から中館を撮影した。
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したたかな津軽氏が建てた 東北を代表する名城

弘前城

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※ 満開の桜と天守 岩木山をバックに。 綺麗だがネットから借用…

 青森県弘前市(平成28年11月9日訪問)

 隣接する南部氏の家臣であって、その支配を嫌い独立した津軽為信が小田原攻めの際に上手く秀吉に取り入って4万5千石を安堵、弘前藩を開くのであるが、その居城として建築されたお城である。
 完成を見ることなく為信は世を去るが、跡目を継いだ2代目藩主 津軽信枚によって1年後に完成したその城は30万石の大名に匹敵するほどの広大な規模となった。

南側の市役所近くにある駐車場に車を停めて大雪の中を歩いて行く。
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 ※ 既に傘が潰れているような…

外濠(堀)を歩くと
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 ※ 桜並木が続く。春は綺麗だろう…

 濠が段チになってそこに
追手門が現れる
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 ※ 外側

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 ※ 内側

 北進し内壕に至ると紅葉が積もって綺麗だった。
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 その左側には二の丸に至る「杉の大橋」が見えた。
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 渡るとスグに二の丸に入る大きな門が見えてくるが、それが
南内門
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 ※ 外側

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 ※ 内側(二ノ丸側)

 この門周辺の紅葉も綺麗で写真を撮る人が門の下に陣取って正直「邪魔」だった。
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 ※ 全く動く気配が無い

二ノ丸跡
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 ※ 私の傘をぶんどられた。

 北進すると内濠に至る。
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 ※ 本丸に至る下乗橋が見える。

下乗橋
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 ※ 橋越しに天守が見えた。

 橋から天守台を撮影するが、この石垣が今、100年ぶりの修理のために、天守閣は移動され乗っかっていないし、堀にも水がない。
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 本丸に入って、天守閣を見る。
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 当初の天守閣は五重であったらしいが、落雷で焼失し本丸東門の隅にあった三重櫓を改築し天守としたとのことである。

 城内にある本丸の模型
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 本丸北側(天守閣と対角に位置する)にあった
 戌亥櫓は休憩所(東屋)になっている。
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 この東側に北の郭に渡る鷹丘橋が見える。
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 ※ 橋の向こうに武徳殿が見える。

北の郭跡
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鷹丘橋
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武徳殿
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 ※ 演武場であったが今は休憩所になっている。

 北の郭を東に進むと中濠に至り、丑寅櫓が見える。
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 そこから北進し賀田門跡の枡形を通り過ぎれば
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 四ノ丸に至る。

 四ノ丸では護国神社
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北門(亀甲門)を写真に撮った。
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 ※ 内側

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 ※ 外側

 この北門を出れば外堀に架かる亀甲橋に至り場外へ…
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 ※ 亀甲橋から外堀 春は桜が綺麗そうだ。

 ココから南に進み、再度、二ノ丸に至る。

与力番所
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東内門
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 ※ 内側

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 ※ 外側

 東門をくぐると三ノ丸に続く。
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 ※ 奥に東門が見えるが、写真を撮り損ねた。

 最後に二ノ丸南側にある未申櫓を撮って駐車場に戻った。
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 どうやら辰己櫓も撮り損ねているようだ…
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 ※ ネットから

 桜のシーズンか天守が屋台曳きで元に戻されるときにまた訪れたいものだ。

残念なお城 

久保田城
 
 秋田県県秋田市(平成29年11月9日 訪問)

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  ※ 御隅櫓

 久保田藩主 佐竹氏の居城。

 佐竹氏は清和源氏の流れをくむ名門ですが、関が原の戦いでの中途半端な行動で家康に睨まれてしまい、常陸からこの地に移封されます。
 その時の藩主、佐竹義宣が1604(慶長9)年に築城たのがこのお城。
 標高40mの神明山に築かれた平山城で、天守と石垣は当初からありませんでした(虎口や土塁の基底部には石垣を使用しています)。
 現在は千秋公園として整備され、土塁、堀などが残っています。


表門(一ノ門)
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 ※ 外側

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 ※ 内側

紅葉が綺麗だった。
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 この門は本丸の正門で、木造2階建て瓦葺きの櫓門。2000(平成12)年に復元されました。

御物頭御番所
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 久保田城唯一の現存建物で、城下の警備や火災の消火を担当した御物頭の詰所として使用されました。


本丸跡
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 本丸内にある八幡秋田神社は 初代藩主佐竹義宣公を始め歴代の藩主が祀られている。
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二ノ丸跡
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中土橋櫓通りをはさんで
右側が、
大手門の堀
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左が
穴門の堀
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 ともに三の丸水掘りであり、広く城域を囲んでいた。

 最後に残念なお知らせである。

 最初に紹介した写真の御隅櫓なんだけど、市制100周年を記念して1989(平成元)年に復元されたとのことであるが、三重四階の構造で建てられたものの、当時の建物は二重櫓であったと書いてある。
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 これって復元じゃないよね!

 詳しく読めば、「当時の二階造りを元に市街地一望できる展望室えた」と書かれているけど…

展望室からの眺め

南側
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西側
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北側
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東側
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 この景色と引き換えに、嘘をついてはいけないと思うのは私だけじゃない筈だ。
 

素晴らしい扇の勾配

熊本城(平成23年7月23日 訪問)

前回きです。

 開門すぐに人のいない大天守小天守を撮った。
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 ※ 西側

 その後に撮った他方向は、人を避けて撮ることができなかった。
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 ※ 南側

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 ※ 東側

横手五郎首掛石
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 ※ 子供たちもこの頃は写真撮るぞ~と言えば飛んできたが…

説明は写真にて省略
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 振り返ると宇土櫓
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 ※ 城内に現残する唯一の多門櫓

 三層五階に加え地下も備えていて、高さ20メートルもあるこの櫓は天守と言ってもおかしくない規模である。
 確かにウチの近くにある岸和田城の天守より大きいのでは?

 宇土櫓から見た大・小天守
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大天守下から
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 ※ 西側

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 ※ 南側

 大天守は全面に石落としが張り出しているのに比べ、小天守は石落としが…
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 その理由は石垣傾斜いにあるのだろうか?
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 ※ 奥がかなり急勾配だ

 手前大天守小天守で、10年ほど遅れて小天守が建てられているが、その間に石垣積みの技術進歩したらしい。

 このペースで進むと、とてつもなく時間がかかってしまうので、ココからかなり端折っての紹介とする。

 この城の素晴らしさは何と言っても「石垣の美しさ」だ。
 何となく登れそうな気がするが、上まで来ると反りかえるような錯覚に陥る、別名扇の勾配」と呼ばれる清正流の石垣積みだ。
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 ※ 宇土櫓の石垣(高さ約30m)

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 ※ 東十間櫓の石垣(高さ約20m)

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 ※ 飯田丸五階櫓の石垣

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 ※ 天守付近の石垣群

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 ※ 竹の丸から見た飯田丸

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 ※ 竹の丸から見た天守 幾重にも石垣が重なって見える。

二様の石垣
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 時代を感じさせる有名なスポット。
 左の急勾配が細川時代、右の勾配が加藤時代であり、当然、後に築いた方が技術の進歩もありキツイ勾配を造れるが、私はやっぱり手前の清正流き(完全な贔屓目

地下通路
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 本丸御殿に入るための通路は「闇り(クラガリ)通路」と呼ばれるもので、二つの石垣を跨いで造られています。

 まだまだ沢山の写真があるけど、機会があれば、また、ジックリとご紹介したいと思います。

 今回はこれにて一旦終了ということで…
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Author:しんのじ
 「私、50にして天命を知らず。」
 彷徨い続けるオヤジのブログです。
 気長にお付き合いください。

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