島原の乱の引き金になった見栄っ張りの巨城

島原城
 島原市(平成28年9月28日訪問)
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 有明海を望み、雲仙岳の麓に位置するお城で、通称は森岳城

 関ヶ原の戦いから徳川の犬となった松倉重政が7年の歳月を費やして島原半島中央部の森岳に築城。
 この城は南北に連なる連郭式平城で、外郭は周囲約4kmの長方形で塀をめぐらし、城門が7か所、平櫓が33か所あり、内郭は堀にかこまれた本丸・二の丸を設け、その北に藩主の居館である三の丸が続きます。本丸には安土桃山式建築の粋を集めた総塗り込めの五層の天守閣をはじめ、3か所に三層櫓がそびえ立つ豪壮堅固な城構えで、禄高4万石には見合わない立派なお城です。
 ※ ウチの近くにある岸和田城がちょうど4万石と聞いているが規模は全然違う。

 重政はこの城を建てるのに、領民負担を強いただけでなく、徳川の顔色ばかり見ていたため、江戸城普請も物凄い安請け合いで、その費用捻出に過酷な搾取を重ね、また、徳川に尻尾を振って実施したキリシタン弾圧などが原因で重政の死後に起きた島原の乱の責任を問われて子の勝家は所領没収・断罪となっています。(私感が入ってます)
 以後、高力忠房,松平忠房らが城主となって、松平氏の時代(最後の城主は徳川慶喜の弟、松平忠和)に明治維新を迎え、以降は廃城処分となり建物などは撤去されが、昭和39年に天守閣が復元されたほか、巽の櫓や丑寅の櫓が復元されている。

 以上がこの城の歴史(かなり概略)であるが、『上位者に従順で、下位者に残酷』という私が一番嫌いなタイプのど真ん中が松倉重政なのでとても偏った書き方になってしまった。

 それではお城の紹介を・・・

 この城ほど天守閣直近駐車できるのはないだろう。
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 5層の立派な天守
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 城内はキリシタン資料館として利用されている。
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 ※ 天草四郎

 天守からは有明海雲仙普賢岳を間近に望む。
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 ※ 雲隠れ…

西の櫓
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 ※ ここでは全国の名城画が展示されている。

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 ※ 天守から見た西の櫓

巽の櫓(西望記念館)
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 ここには日本彫刻界の巨匠 北村西望氏(島原出身)の代表作が展示してあります。
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 西望氏は長崎平和公園の平和記念像の作者として有名な彫刻家で、これを見たら「ああコレ!」って思うでしょう。
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 ※ 当然レプリカだけど、横の写真で製作過程が判る。

丑寅の櫓
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 ここは民具資料館として使われていて、搦手門であった諫早門門扉が展示されている
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 その他、本丸には重政と築城工事中に死亡した人々を祀ったがある。
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 本丸の北側二の丸がある。
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 ※天守から見た二ノ丸

 二ノ丸は現在、島原文化会館となっている

 二ノ丸越しに見た天守
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 内堀の中に浮かぶように本丸二の丸が並び、廊下橋で結ばれていたようだ。
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 ※ 廊下橋台の石垣 左手に丑寅櫓が見える。

 こんな風に橋が架かっていたらしい。
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 この城が一番綺麗に見えると思う場所は巽の櫓越しに見る5層天守だ。

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 ※ 同じような写真を何枚も撮ってしまった…

 左の石垣が見事な屏風折れだ!

平戸瀬戸を望む松浦水軍の城

平戸城

 長崎県平戸市(平成28年9月27日訪問)

 平戸城は、別名「亀岡城」と呼ばれ、平戸瀬戸に突出した平山城で松浦氏の居城として知られています。
 1599年(慶長4年)に松浦鎮信によって日之嶽城として築城を開始しましたが、完成間近となった1613年(慶長18年)に徳川幕府への配慮から自ら城に火を放ち焼き捨てました(これで平戸6万石と民を守ったのだ)。
 その後、鎮信は御館を建築して平戸藩庁として代々の居城としました。
 江戸時代中期に入り、5代藩主・松浦棟は東シナ海警備の必要性もあり、1704年(元禄17年)2月に日之嶽城跡に城の再建を開始し、1707年(宝永4年)に完成しました。再建にあたっては山鹿素行の軍学に沿って縄張りされましたが、赤穂城と並び、数少ない山鹿流による城郭です。
 廃藩置県後の廃城令により廃城となり、翌年、現存する狸櫓北虎口門(搦手門)を残し、城の建物は解体されたが、現在、城跡は亀岡神社の境内や亀岡公園として整備されており、模擬天守や櫓が建てられています。
 その天守閣からの眺めは素晴らしいです。


二ノ丸跡
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乾櫓
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 ※ 売店になっている。

地蔵坂櫓
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北虎口門(唯一の現存木造遺構)
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 ※ 外側

狸櫓
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 ※ 外側

本丸門
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 ※ 外側

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 ※ 内側

天守閣(元々は二重の沖見櫓だったらしい)
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 ※ 東面

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 ※ 北面

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 ※ 西面

南面は海に面している


天守からの
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 ※ 見奏櫓を見下ろし平戸瀬戸を望む

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 ※ 小さい島は黒小島で原始林は天然記念物とか

見奏櫓(けんそうやぐら)
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懐柔櫓
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大手門跡
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千代田区をスッポリ呑み込む大城跡

江戸城
 東京都千代田区 (平成28年5月17日訪問)

 降りしきる雨の中、先ず桜田門を見ようと皇居外苑を歩いていたらビックリした。

 楠正成公銅像があったことにだ。
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 楠公(なんこう)さんが何故

 南朝の後醍醐天皇を死守しようとした忠臣(私は大好きな一人)だけど、何故

 裏切り者家康ツメの垢でも煎じて…と言うこと?(はかなりのアンチ家康

 色々考えながら桜田門に到着
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 手前の高麗門と奥の渡櫓門
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枡形を形成している。

 そこから有名な二重橋に移動。
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 手前の皇居正門に続く石橋
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 ※ 奥に見えるのが伏見櫓だ。

とその奥にかかる鉄橋
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なってえるから二重橋だということを初めて知った。

 続いて坂下門を見て、
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 ※ 普段は外国人でイッパイらしいが、今日の天気では…

 そこから桔梗門へ移動
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 坂下門と同じく、この門を入れば皇居に繋がるためか、警備員(皇宮警察)が睨みを効かせていて入れない
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 この場所から見える櫓は巽櫓
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 ※ 右手は大手町のビル街

桔梗壕桔梗櫓
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 続いては大手門
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 手前の高麗門
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と奥(内側)の渡櫓門
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枡形を形成。

 渡櫓に載っている
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 この門をくぐって、本丸方向へ進む。

 手前に同心番所
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 ※ 上位の役人が詰めていたそうな

 百人番所を確認
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 本丸二ノ丸に通じる要所の大手三ノ門
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 この門の前にある番所で鉄砲百人組と呼ばれた甲賀組、伊賀組、根来組、二十五組の4班体制で昼夜交代の100人ずつ配置されていたそうである。

 ここから二ノ丸方向(北側)に進み、諏訪の茶屋を見る。
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 江戸時代には吹上地区にあったらしいが、皇居東御苑として整備されるときにこの場所(二ノ丸跡)に移設したもの。

二ノ丸庭園
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 更に北側に進み平川門に至る。
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 この門も渡櫓門帯曲輪門)と
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高麗門
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枡形を形成だ。

 この門を出て、すぐにある木橋
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 渡る際左手に竹橋が見えるが、平川門の渡櫓門から竹橋までこの写真の左手に見える細長い曲輪が延びていてその右側の堀が大手壕、見えないが左手が平川壕と呼ばれている。
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 竹橋を渡って、平川壕沿いに歩いて行くと、北桔橋門が見える。
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 この門をくぐることなく、一旦、に進路をとって北方向に進む。
 北の丸公園に入って、日本武道館を発見。
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 更に北に進んで、公園の出口に至るが、これが田安門となっている。
この門も渡櫓門
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 くぐって左に見える高麗門
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枡形を形成。

 門をくぐって、更に北進靖国神社に至り、
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 英霊の御霊にこうべを垂れたのであるが、ここでは割愛として、北桔橋門に戻ることにする。
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 この橋から見る石垣は見事だ。
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 ※ 向かって右の乾壕

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 ※ こちらは左の平川壕

 北桔橋門はこれまでクドイほど紹介した枡形ではなく、門を一つくぐるとすぐに天守台が現れた。
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 回り込んで天守台の入口側
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 天守台から見た本丸
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 ※ 手前には大奥があったらしい。

 この本丸を南方向に進んでいく。

 右手に「松の廊下跡」を見ながら、
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 ※ 「殿中でござる!」 の殿中は本丸の意らしい。

 本丸の南つきあたりに富士見櫓を発見。
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 ※ 中には入れない。

 元々19あった櫓のうち今あるのは、この櫓と伏見櫓桜田二重(巽)櫓三つらしいが、唯一の三重櫓とのこと。

 ここから東方向に進み、大手門に戻る途中に大番所を発見
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 これは本丸と二ノ丸の間にあたる中ノ門
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より内側にあり、他の番所よりも位の高い与力・同心が警備を担当していたらしい。

 更に進むと先ほど見た覚えのある百人番所が目の前に現れたので、
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 雨に濡れたカメラを片付けた。


 東京の一等地に何と大きなお城が残っていることか…

「おとわ」に育てられた直政が入城した見事な大堀切のお城

箕輪城
 群馬県高崎市(平成28年5月19日訪問)

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 1500年頃、長野氏によって築かれ、度重なる武田信玄の侵攻を退け安定した地位を保ったが、1566年ついに落城し武田氏の上野経営の拠点と位置づけられ、真田幸隆(真田幸村の祖父にあたる)らが城代に任じられた。
 1575年、長篠の戦いで武田が滅び、一時的に北条氏政の弟・氏邦(鉢形城主)が侵攻したが、滝川一益により追われる。・・・が、信長が本能寺の変で倒れると、北条氏直・氏邦の大軍が上野国に侵攻、神流川の戦いで一益を破り、氏邦が再度箕輪城に入城する。・・・・このへんは「真田丸」で馴染みがある。
 その後、1590年、豊臣秀吉の小田原征伐の際、箕輪城は前田利家・上杉景勝連合軍の攻撃により開城、この年、徳川家康が関東に入封し、箕輪城は12万石をもって井伊直政に与えられた。
 ・・・ちなみに井伊直政の育ての親が「おんな城主 直虎」の次郎法師なのでNHK大河ドラマ繋がりだ
 直政は箕輪城を近代城郭に改造したが、1598年に高崎城に移り、それに伴って箕輪城は廃城となった。

 これがザックリとした箕輪城の歴史だけど、城主が代わるたびに造り替えがなされ、当初の長野氏時代とはかなり異なったものになり、今残っている箕輪城は最後の城主、井伊直政時代の姿に最も近いと考えられているそうだ。

 駐車場から移動し先ず目に入るのが搦手口案内看板
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 判りにくいので、見やすいものをネットから借用
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 坂を上がって二ノ丸跡に到着
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 そこから南方向に進むと土橋が架かっていて、向こうが郭馬出という曲輪なんだけど、なんやら工事中の様子
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 土橋からみた大堀切
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 あとで調べたところ、このブルーシートった工作物は、現在、復元工事中の「郭馬出西虎口門」らしい。(詳しくはこちら
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 工事中で前(三ノ丸方向)に進めないので、一旦本丸方向にってむことにした。

手前に本丸馬出しが確認できた。
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 ※ 本丸の二ノ丸側の東から南に鍵形の土居があった馬出し。

本丸に到着
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 ここには天守閣はなく、城主の住む建物や軍議酒宴を催したりするがあったとのことだ。

 本丸北虎口付近から遊歩道ができていて、そこから三ノ丸を目指す。
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 遊歩道と言っても、ようは本丸掘り沿いに歩いている。
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 ※ 右手が本丸、左手が蔵屋敷という曲輪

三ノ丸に到着。
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三ノ丸外側には石垣が残っていて、
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 ※ 三ノ丸門跡の石垣

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 この石垣の下には北条氏時代古い石垣が発見されているそうだ。

 更に前進すると、先ほどの郭馬出西虎口門(復元工事中)が見えてきた
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 だから、引き返して今度は本丸北側に位置する御前曲輪にやってきた。
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 この曲輪は実質的には本丸の一部であった。落城の際、城主はここの持佛堂に入って自刃し、一族郎党みな後を追ったと伝えられている。(…と説明文に書かれている)

 ここには大きな井戸があるが、この井戸は昭和に入って豪雨で起こった地盤沈下発見されたそうだ。
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 ※ 深さは20mあるらしい。

 更に北側に新曲輪稲荷曲輪など沢山の見るべき所があるようであったが、時間の関係で断念した。


  また今度ね!

総石造の巨大山城

金山城
 群馬県太田市(平成28年5月18日訪問)

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 金山山頂の本丸を中心に伸びる尾根を整備して曲輪を造って、堀切・土塁で堅固に仕上げられた山城なのだけど、普通の山城とは違いあらゆる所られている。
 土塁と言えば土なんでは?と思うくらい総石造りなのである。

 駐車場からはハイキングコースになっている。
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 どんどん歩いて行く
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西矢倉台西堀切
 本丸まで4つの堀切があり、一番西に掘られている堀切。
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 ※  堀切とは、通路に対し垂直方向に掘られて敵の侵入を防ぐとともに、通路としても利用されていたもの。

西矢倉台通路
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 ※ 西矢倉台と馬場曲輪をつなぐ内部通路(判りにくいが、石が敷き詰められている。)

物見台下虎口
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 ※ 通路の正面に石を積んで先を見せないようにする工夫

馬場下通路
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 この通路、先が行き止まりのように見えるが、敵をまどわせるためで、実は左手に通路くのである。
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 この通路に対する堀切である堅堀
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 ※ 下からの写真

 通路の進行方向左にある物見台
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~の風景
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 ※ 太田市全域を一望だ。

馬場曲輪
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 ※ 大手虎口を守る兵が待機していた場所

 これより城の中心部に近づくのであるが、大手虎口の手前左手にこれまた石で枠組みされた月ノ池がある。

 その先に見えるのは、大手虎口
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 金山城の一大防御拠点として、重要な場所であり、最も印象に残った場所だ。
 通路の両側は、水はけが良いように、排水溝が掘られており、大手通路の両側上段は、各種の曲輪があったようで、段々になっていた。
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 ※ これは南上段曲輪

 更に先へと進んでいくと、これまたこのお城のシンボルでもある「日の池」が目の前に現れる。
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 ※ 南曲輪から撮影。この奥が三ノ丸、二ノ丸になる。

 この場所で戦の勝利や雨乞いなどの儀式が行われたとあり、神聖な場所らしい。

 この池の右側にある高台が南曲輪で休憩所が建てられている。
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 この南曲輪から晴れた日には富士山スカイツリーが見えるそうであるが、この日は晴れにもかかわらず見えなかった。
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 南曲輪を後にし、いよいよ本丸へと向かうのであるが、途中、これまた金山城のシンボルである大ケヤキに出くわす。
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 このケヤキをくぐって前に進むと神社が見えてきた。
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新田神社実城
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 本丸跡には、初代城主の名をつけたこの神社の他に2つの神社があった。

御嶽神社
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 と梅若稲荷神社であり、
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 この前に城跡の石碑があった。
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 石垣に圧倒される山城、上杉謙信や武田勝頼などの戦国大名に10数度攻撃を受けながらも落城することがなかったことが肯ける名城だ。
プロフィール

しんのじ

Author:しんのじ
 「私、50にして天命を知らず。」
 彷徨い続けるオヤジのブログです。
 気長にお付き合いください。

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