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大分市の基礎になった水上要塞

大分府内城

 大分県大分市(平成30年9月15日 訪問)

 石田三成の妹婿であった福原直高が1597(慶長2)年、大分湾の海際に築城開始、2年後には望楼型の四重天守を持つ城の大半を完成させた。
 
 その後、竹中半兵衛の甥っ子である竹中重利が関ヶ原の戦い後に城主となり、天守を新式の層塔型へと改めるなどの大改修を行ない、1607(慶長12)年、北側は海、東側は大分川河口の湿地帯を天然の要害とし、本丸を二の丸(東の丸・西の丸)、山里丸、三の丸がL字型に囲むような梯郭式に配置、それぞれの曲輪は堀で仕切られ、渡櫓・廊下橋で連結されていた。
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 ※ 府内城の縄張り図

 ちなみには本丸と二の丸がくっ付き、められて大分城祉公園になっている。

 城祉公園東側帯曲輪跡にバイクを停めて城跡を攻める。
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 東の丸 二階櫓模擬天守(足場組み立て)をバックに写真を撮ったが、二階櫓の更に後ろに見えるのは大分県警察本部だ。

 時計回りに大手門を目指すが、最初に目に入ったのは東の丸平櫓だ。
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 ※ 更に奥に見えるのが着到櫓

 どう見ても2階建てだが平櫓とのことで、ひょっとしたら再建時に増築か?

 そこから西に進み、着到櫓を見る。
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 着到櫓から大手門へと進むが、このアスファルト部分は昔、三の丸から繋がる廊下橋であったようだ。 
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 大手門の桝形
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 門をくぐると、目の前に模擬天守が現れる。
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 ※ 足場で造られている。

 更に北側には天守台
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 どうせなら足場を天守台の上で組みあげれば…などと思っていたら、ARで天守台に乗った天守閣が見ることができた。
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 天守台からみた…

東の丸 二階櫓
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人質櫓(現存)
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松栄神社廊下橋
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 天守台から降りて、西に進むと本丸櫓台があった。
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 ※ 二階櫓が乗っていたそうだ。

 更に西に進むと西の丸から山里丸に架かっていた廊下橋に至る。
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 山里丸跡には松栄神社が建てられていて
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 更にこの神社の奥には小さな稲荷神社もあった。
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 ココから帯曲を東方向に進むと人質櫓が見えてくる。
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 更に進むと元の場所になってしまうので、山里丸に戻り今度は西方向に進む。

 すると築城当時石垣が展示されていた。
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 西の丸北側の石垣を見ながら南に進む。
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 途中、土塀の切れ目から本丸内に進入できるが、昔はこの進路は無かったのでパス。
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 更に南進し西の丸角櫓(二階櫓)に至る。
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 こちらから大手門方面を見ると、手前から西の丸角櫓宗門櫓(工事中)、着到櫓が並んで見える。
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宗門櫓
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 1743年(寛保3)、城下からの出火で天守をはじめ城内の多くの建物が焼失し、その後も明和六年(1769)の大地震、安政元年(1854)の大地震、また、戦災で建物は失われたが、先ほどの人質櫓とこの宗門櫓江戸時代の建物としてっている。
 ただ、補修工事中のためか見ることが出来なかったのが残念だ。

 府内城、今は公園になっているが、その昔はかぶ要塞のように見えたであろう素晴らしいお城でありました。

平家のこの米で生き延びた?(その2)

向江棚田

 宮崎県西米良村上米良二畝ノ谷(平成30年9月15日 訪問)

 向江の棚田は上米良地区にある。

 石積みの美しい棚田で、収穫後の「はさ掛け」景観も見れた。
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 棚田枚数は61枚で、起源は奈良時代までるという。

 前述の春の平棚田と同じく平家の落人伝説がある地であるが、それより太古の歴史をもつ棚田だ。

平家のこの米で生き延びた?

春の平棚田(はるのひらたなだ)

 宮崎県西米良村竹原春の平(平成30年9月15日 訪問)

 平家の落人伝説もある日本の秘境、米良村にある棚田。
 
 さぞかし趣のある棚田であろうと、期待して恐ろしくクネクネとした山道何時間も走った(と言うより恐くて歩く程度のスピードしか出せないが…)のであるが、辿り着いたそこは、国道沿いにあり(要は道の選択を誤っただけと言うことだ)思ったより規模が小さく拍子抜けした。
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 ※ 通り過ぎるところだった…

 でも、近づいて見ると、結構った石垣まれていた。
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 ※ 一番上の田んぼから

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 ※ 川の対岸から少しだけ俯瞰して見ることができた。

照葉樹林の森に貯えられた名水

綾川湧水群(あやがわゆうすいぐん)

 宮崎県東諸県郡綾町(平成30年9月15日訪問)

 宮崎県の南部にある綾町には、照葉樹の深い森に貯えられた水が湧出、綾川となって地を潤し、本庄川を経て大淀川へと合流していきます。

 この綾の名水は特定の場所からの湧水ではなく、照葉樹の森に無数点在していて、地元の方に聞いても湧水場所は全く判りませんでした。

 だから、いたるところで水を汲んでは飲みまくりました。
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 唯一、「川中神社」の案内看板に書かれていた「あみだ淵」なるものを探し、それらしきところでを見つけた。
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 ※ 大分歩いたけど、これがあみだ淵か?

 ちなみにこの近くには、綾川を跨ぐ壮大な照葉大吊橋があります。
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やっぱり名水の案内看板が欲しいな~
チョット不完全燃焼。

シラス台地に残る数多くの曲輪と飫肥杉

飫肥城址
 
 宮崎県日南市(平成30年9月14日訪問)

 飫肥城は日向国(宮崎県) 飫肥藩の藩庁だった近代城郭の平山城で、別名は舞鶴城

 主な城主は、新納氏島津氏伊東氏で、特に島津氏伊藤氏の間で繰り広げられた争奪戦は約100年に渡る長期戦で有名。

 結局、秀吉の九州平定時に上手く立ち回った伊藤氏が天正十五年(1587)に城主となって以来、その後、関ヶ原の戦いでも上手く立ち回り東軍に参加、徳川氏より領地を安堵され飫肥藩が廃止されるまで城主となり続けた。
 
 伊藤氏が城主となって以来、長い年月をかけて近代城郭の体裁を整えるが、それまでの城主入れ替わり争奪戦により、互いの城主時に空掘りや多くの曲輪が造られっている。
 土地的にシラス台地であるため、細工しやすかったのもその要因であろうか・・・


飫肥城大手門
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 飫肥杉を用いて木造二階、高さ12.3mの櫓門として昭和53年(1978)に再建されたもの。

 に入り、
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 枡形から見た大手門櫓門
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 そこから階段がって
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二の丸(犬馬場)
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 ※ 上がって右手

 そのまま右手に進むと釣鐘堂で石垣が出っ張った部分で隅櫓跡が見える。

 そこを左に曲がり中の丸へと進む。
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飫肥城歴史資料館が見えてくる。
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 ココには飫肥藩ゆかりの品が220点が展示されているそうだが時間的にパス

 そこから現在小学校となっている本丸跡を右に見て「旧本丸跡」を目指す。
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 前にある説明看板に書かれていたが、江戸初期に三度地震旧本丸地割れし、(現小学校)へ本丸御殿を移転したという。そのため、を「旧本丸跡」、を「本丸跡」と呼んでいるそうだ。
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 だからこの左側土塁の上が旧本丸跡になるのだろう…

 階段を上がる
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 登りきったそこには、「飫肥杉の群集」があった。
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 ちなみに飫肥藩の財源となった飫肥杉保護するために、植林を前提として伐採した材木の利益を住民2分の1、藩2分の1に分配する「二部一山の法」から更に「三部一山の法」(利益配分は住民3分の2、藩3分の1)に改めるなど知恵を振り絞り、その後「三部一山の法」の思想は「国有林野法」にがれ、営林法令の礎となっていると聞いた。

 旧本丸の北側には土塀付きの薬医門が建つ。古絵図には「北門」と描かれていた。
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 ※ 内側

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 ※ 外側

 この北門、入ってすぐに大きな石つあった。
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 大きな石のテッペンはくり抜かれ、まっている。

 うやら小さな石に乗って、手を洗うようであるが、実際にやってみる結構離れていて、無理があった。

 続いて松尾丸へと向かう。

 この石段の上が松尾丸跡。
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 現在は屋敷っぽい建物(模擬)が建てられている。
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 藩主の御殿(本丸にあったもの)を場所を変えて(昭和に)復元したという話であるが、どうやら将来の城主となる息子さんが住んでいたようで、今では歴史を感じさせる品々が展示されており、中でも藩主が好んで使用したサウナ風の風呂が興味をそそった。
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 ※ 御座の間(殿様気分で写真が撮れるそうな…)

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 ※ 殿様のトイレは何と畳敷き!

 そしてこれがサウナ風呂だ!
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 写真で判り辛いが、下にある釜ゆでの蒸気でサウナ状態にするらしい説明がマンガであった。
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 松尾丸を後にして、また本丸跡にでる。
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 本丸桝形内部から
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 ※ 正面は歴史資料館

 そこから大手門方面に進むが、この辺りが私には趣があってよかった。

 本丸前の桝形
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 ※ この4本の杉の中心に立てばパワーを貰えるそうな

石段を降る。
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 ※ 等間隔にならんだ杉が何か良い。

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 で、大手門から進んだ二の丸跡った。


  正直、写真を整理していたら、新旧本丸跡の位置関係が判らなくなってきて、整理にトッテモ時間した。
 
 やっぱりその時々で整理しないとダメですね。

プロフィール

しんのじ

Author:しんのじ
 「私、50にして天命を知らず。」
 彷徨い続けるオヤジのブログです。
 気長にお付き合いください。

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