こんもりお山の可愛い棚田

大中尾棚田
 長崎県長崎市(平成28年9月27日訪問)
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 道中、案内看板が沢山あってうことなく来れるであろうが、駐車場が棚田の中腹にあり残念ながらこの場所での景観が最もいので、全景を見ることなくこの場所で帰ってしまう人が多い(実際に私が観ている間にも車が3台来るが、すぐに帰っていた。)。

 小高いこんもりとした山みたいな形をした棚田が愛くるしい棚田である。
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 石積等の貴重な農村景観を残す地域でもあるのだけれど、それだけに残念に思う。
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平戸瀬戸を望む松浦水軍の城

平戸城

 長崎県平戸市(平成28年9月27日訪問)

 平戸城は、別名「亀岡城」と呼ばれ、平戸瀬戸に突出した平山城で松浦氏の居城として知られています。
 1599年(慶長4年)に松浦鎮信によって日之嶽城として築城を開始しましたが、完成間近となった1613年(慶長18年)に徳川幕府への配慮から自ら城に火を放ち焼き捨てました(これで平戸6万石と民を守ったのだ)。
 その後、鎮信は御館を建築して平戸藩庁として代々の居城としました。
 江戸時代中期に入り、5代藩主・松浦棟は東シナ海警備の必要性もあり、1704年(元禄17年)2月に日之嶽城跡に城の再建を開始し、1707年(宝永4年)に完成しました。再建にあたっては山鹿素行の軍学に沿って縄張りされましたが、赤穂城と並び、数少ない山鹿流による城郭です。
 廃藩置県後の廃城令により廃城となり、翌年、現存する狸櫓北虎口門(搦手門)を残し、城の建物は解体されたが、現在、城跡は亀岡神社の境内や亀岡公園として整備されており、模擬天守や櫓が建てられています。
 その天守閣からの眺めは素晴らしいです。


二ノ丸跡
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乾櫓
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 ※ 売店になっている。

地蔵坂櫓
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北虎口門(唯一の現存木造遺構)
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 ※ 外側

狸櫓
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 ※ 外側

本丸門
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 ※ 外側

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 ※ 内側

天守閣(元々は二重の沖見櫓だったらしい)
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 ※ 東面

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 ※ 北面

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 ※ 西面

南面は海に面している


天守からの
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 ※ 見奏櫓を見下ろし平戸瀬戸を望む

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 ※ 小さい島は黒小島で原始林は天然記念物とか

見奏櫓(けんそうやぐら)
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懐柔櫓
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大手門跡
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おあずけ

 先日、オーストリアから荷物が届いた。
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ってました。」と開封
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 ヘプコ&ベッカーサイドケースだ。

 あと、トップケースも注文してあるのだけど、これはまだ届かない・・・と思っていたら2日後いた。
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 個人輸入って初めてするし、国際郵便局から何度も電話がかかってきて、「荷物番号を教えろ」と税関から指示があっただの「関税がどうの」とか何かとストレスがかかったけど、終わればいい勉強になったし、少しもした。

 三つ並べるとこんな風で、
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 細かいこと言えば、トップケースにこのようにバックレストを取り付けるのであるが、
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 どうやら、ネジ穴を開けないとダメなようなので、後日に先送りとした。
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 何故かと言えば、これらを固定するステーはバイク屋さんに取り付けを依頼している(ヘタに触りたくない)のであるが、ものがかないからである。

 時間はタップリあるようなので、焦らず良いものに仕上げていこうと思う。

 取り付け全てが完了すれば、バイクはこんな風になる。
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 日本全国津々浦々、どこでも行きまくるぞ~ってな感じだ。

玄界灘の夕日に映える棚田

土谷(どや)棚田(平成28年9月27日訪問)

長崎県福島町
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 玄海灘と大飛島・小飛島を背景にして観ることができる棚田。
 夕暮れ時にこのような写真が撮れるようで人気の棚田らしい。
土谷棚田
 ※ 「どや! ええ写真やろ。」 と親父ギャグ

 4月~5月にかけてが水鏡に夕映えでベストショットが撮れそうだ。
 訪問時が午前中(朝の8時)で残念だが、また機会があれば是非訪れたいものだ。

勝頼公がこちらに来ていれば歴史は変わった?

岩櫃城(群馬県吾妻郡東吾妻町 平成28年5月18日訪問)

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 真田丸のオープニングで見たことのある岩櫃山
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 の東側に位置したお城で、甲斐の岩殿城、駿河の久能城と並んで武田領の3名城と称され、真田幸隆、真田昌幸が城主をつとめた城としても知られています。
 築城時期および築城者については諸説ありますが、1405年(応永12年)に斎藤憲行が築いたとする説や真田氏による築城だとする説もあります。
  沼田を真田氏が攻略したのちは、その支城として扱われました。
  織田信長による甲州征伐の際、昌幸は武田勝頼に新府城から岩櫃城に逃るよう奨めたものの、勝頼が小山田信茂の岩殿城へ逃げることを選んだため武田氏は滅亡しました。(このへんは「真田丸」でやってました。)
 その後、真田氏は豊臣秀吉や徳川家康に従属して大名として生き延び、岩櫃城も存続しましたが、幕府よる一国一城令により廃城となりました。

堅掘
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中城跡
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二ノ丸跡
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二ノ丸と本丸 間の
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本丸跡
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しんのじ

Author:しんのじ
 「私、50にして天命を知らず。」
 彷徨い続けるオヤジのブログです。
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